ディスカバー・ニッケイ

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補償運動への参加者の増加 (英語)

(英語) 補償に関わる会議には、当初4人から6人くらいの参加者しか集まりませんでしたが、15人、20人と増えていきました。参加者たちは、様々な議題や、立てるべき戦略についてそれぞれ意欲的に発言しました。それはとても好ましいことで、まさに私たちが求めていたことでした。私たちは、日系コミュニティの生の声を求めていたのです。そして、私たちは実に多くの情報を得ることができました。参加者たちは、話し合った内容を責任をもって実行するよう、私たちに念を押しました。

また、追憶の日イベント(The Day of Remembrance)を開催すると、そういったイベントへの参加者は50人程度だったのが、聴聞会の開催後は、200から300人もの人々が参加するようになりました。聴聞会の前と後では、大きな違いがありました。

ですから、それほど多くの日系人が集結するようになった時点で、補償運動は始まっていたと言えます。つまり、運動への環境は整ったのです。運動の指導者たちは、環境さえ整えば人々に語りかけることができます。適切な環境がなければ、批判を恐れ、補償について口を開くことができません。でも、私たちの活動や聴聞会の開催によって、その環境は整えられ、人々は安心して補償運動に参加することができるようになりました。


リドレス運動

日付: 1997年9月13日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ラリー・ハシマ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

バート・ナカノ氏は、1928年、ハワイ州ホノルルに生まれました。戦時中に強制収容されたハワイ在住の日系人はごくわずかでしたが、ナカノ氏一家は、ハワイで身柄を拘束され、合衆国本土の強制収容所に送られました。当時14歳だったナカノ氏は、アーカンソー州のジェロームに拘留され、その後カリフォルニア州のツールレイク収容所に移送されました。

結婚し、シカゴと日本で働いた後、ナカノ氏は南カリフォルニアに移り住みました。ナカノ氏は強制収容の事実に長い間憤りを感じ、また戦後多くの日系人が日系のルーツを恥じる風潮にも反発を感じていました。

1976年、ナカノ氏は、大学生だった息子の後押しで、彼自身も強い問題意識を感じていた問題に取り組むため、草の根活動団体、「Little Tokyo People’s Rights Organization(リトル・トーキョー人権協会)」に加わります。この団体は、ロサンゼルスの再開発事業計画に反対の立場を取っていました。なぜならその開発計画は、低所得者や中所得者層の日系人、そして家族経営の小企業の存在を脅かすものだったからです。

1978年、ナカノ氏は、第二次大戦中強制収容されていた日系人への賠償を求めるため、「補償を求めるロサンゼルス市民連合」の立ち上げに協力しました。そして1980年、ロサンゼルスの連合は、全米の各地域に根ざした団体と共に、「NCRR(補償を求める全国連合)」を組織しました。ナカノ氏は、9年間にわたってNCRRのスポークスマンを務め、その間NCRRは、日系議員や退役軍人、日系アメリカ人市民同盟などの団体や個人と協力し、正義を求めて共に活動しました。バート・ナカノ氏は、2003年に亡くなりました。(2008年4月15日)

ヘンリー・ミヤタケ

歴史は変化し続ける(英語)

補償運動の発起者の一人(1929-2014)

チェリー・キノシタ

賠償金請求の必要性 (英語)

補償運動のリーダーの一人 (1923 - 2008年)

チェリー・キノシタ

苦しみを乗り越えて (英語)

補償運動のリーダーの一人 (1923 - 2008年)

ビル・ホソカワ

賠償(リパレーション)から補償(リドレス)へ (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

ビル・ホソカワ

証拠の強み (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

チエ・トミヒロ

聴聞会の証人委員としての役割 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

チエ・トミヒロ

話すことを阻んだ恥の意識 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

チエ・トミヒロ

今後すべきこと (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

ジョージ・ヨシダ

三世と補償運動(英語)

音楽家 (1922年)

ウィリアム・マルタニ

補償金額の算出(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事

ウィリアム・マルタニ

CWRIC委員就任の決断(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事

ウィリアム・マルタニ

イノウエ上院議員による CWRIC委員の選考について(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事

ウィリアム・マルタニ

日系委員としての個人的感情(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事

ウィリアム・マルタニ

不当な出来事に関する忘れられない証言(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事

ウィリアム・マルタニ

証言者の背景にある怒りを理解すること(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事