ディスカバー・ニッケイ

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「じいちゃん」や「ばあちゃん」と仲良しに (英語)

(英語) 世代をひとつ超えるということについて言えば、僕ら三世は、二世の視点というよりは、一世の視点を再び見つめ始めたんです。僕らはおじいちゃんやおばあちゃんとコミュニケーションをとりたいと考えていたし、一世が二世に伝達しなかった、もしくは二世が受け継がなかった文化が、実はすごく豊かだと感じたんですね。一世と二世は、世代的に近すぎたのでしょうね。そして二世の人たちは、厳しすぎる両親の世代が好きになれなかったのかもしれません。三世の子供たちは祖父母に甘やかされていたとか、理由はいろいろあるのでしょう。三世は一世とより近い関係にあったからこそ、もっと一世を知りたいと思ったんですね。そして、僕らは一体何者なのか、というアイデンティティの模索の意味もあったと思います。もしかしたらステレオタイプだと言われるのかもしれませんけど、でも僕は、アジア系の人にはある種の美意識が備わっていると思うんです。そしてその美意識は、芸術的な家庭環境での生い立ちから来ていると思います。書道や詩や竹かご細工などの、機能性と美しさを兼ね備えた物が生活の中で生かされていたんですね。僕らが育ってきた環境にはそういう芸術的要素が含まれていたと思います。


世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration) 三世

日付: 2004年12月10日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

太鼓及び笛奏者として有名なジョージ・アベ氏は、1944年マンザナー強制収容所で生まれました。戦後家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルスに再移住したのはアベ氏が1歳の時でした。帰米であるアベ氏の母は、カリフォルニア州オレンジ市で生まれ9歳で日本へ行き、26歳でロサンゼルスに戻りました。アベ氏の父は一世です。

アベ氏はアーティストやミュージシャンのいる環境で育ち、母親と共に琵琶のリサイタルにも参加しました。学校のバンド活動でもクラリネット、サックス、オーボエなど様々な楽器を演奏しました。アベ氏の音楽への興味はその後絶えることなく、尺八や笛といった伝統的な日本の管楽器の演奏を学びました。

アベ氏はロサンゼルスの洗心仏教寺を拠点として活動する緊那羅(きんなら)太鼓の創設メンバーの1人であり、今日に至るまでグループと活動を共にしています。緊那羅太鼓は、北アメリカで結成された最初の太鼓グループの1つであり、田中誠一先生率いるサンフランシスコ太鼓道場の次に設立された2番目のグループです。アベ氏は芸術の影響力と太鼓が人々に与える活力を確かなものとして捉え、彼自身の芸術性を文化、精神そして共同体への意識啓発に役立てています。(2004年12月10日)

阪根 博

捕虜交換船で日本へ帰国

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

日本人と思わされる環境

天野博物館事務局長(1948年生)

関利彦

日本の文化としてアメリカで寿司を握る

寿司職人(1962年生)

田岡 功

一世に残された大きな役割

パラグアイ駐日大使(1943年生)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

医師免許取得のためトリリンガルになった父 (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

父の裁判を知る (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

マーガレット・クロイワ

ビーチとアメリカ(英語)

一世医師の娘

スタン・サカイ

若かりし頃の影響(英語)

漫画家(1953年生)

ホリー・J・フジエ

日系アメリカ人としてのアイデンティティ(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事