ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/881/

太鼓演奏の仲間達 (英語)

(英語) 田中先生(田中誠一氏)と一緒に演奏していたラッセル・ババさんなどのミュージシャンたちとは、ベイ・エリアで知り合いました。彼らと知り合って僕も田中先生と会うことができたんです。田中先生がロサンゼルスに公演に来る時は僕に電話をくれるので、僕も笛で演奏に参加するといった感じで、太鼓を演奏する人がまだそんなにたくさんいなかった初期の太鼓奏者のコミュニティはすごく近い関係にありました。ロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコの太鼓グループ間の繋がりは強く、サンフランシスコに行ってもニューヨークに行っても必ずどこか泊まるところがあって、そちらへ行く直前に連絡しても誰かが自分のアパートや家を提供してくれて泊めてくれましたね。


ドラム コミュニティ 太鼓 音楽

日付: 2004年12月10日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

太鼓及び笛奏者として有名なジョージ・アベ氏は、1944年マンザナー強制収容所で生まれました。戦後家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルスに再移住したのはアベ氏が1歳の時でした。帰米であるアベ氏の母は、カリフォルニア州オレンジ市で生まれ9歳で日本へ行き、26歳でロサンゼルスに戻りました。アベ氏の父は一世です。

アベ氏はアーティストやミュージシャンのいる環境で育ち、母親と共に琵琶のリサイタルにも参加しました。学校のバンド活動でもクラリネット、サックス、オーボエなど様々な楽器を演奏しました。アベ氏の音楽への興味はその後絶えることなく、尺八や笛といった伝統的な日本の管楽器の演奏を学びました。

アベ氏はロサンゼルスの洗心仏教寺を拠点として活動する緊那羅(きんなら)太鼓の創設メンバーの1人であり、今日に至るまでグループと活動を共にしています。緊那羅太鼓は、北アメリカで結成された最初の太鼓グループの1つであり、田中誠一先生率いるサンフランシスコ太鼓道場の次に設立された2番目のグループです。アベ氏は芸術の影響力と太鼓が人々に与える活力を確かなものとして捉え、彼自身の芸術性を文化、精神そして共同体への意識啓発に役立てています。(2004年12月10日)

ジョージ・アリヨシ

様々な人種・民族 (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

カズオ・フナイ

バイオリンを購入

一世実業家(1900-2005)

ジェームス・ヒラバヤシ

各家庭でのキリスト教徒の集会 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

家族に恥をかかせないように (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

全米日系人博物館の役割 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ペギー・ニシムラ・ベイン

アメリカ料理を身につけたきっかけ(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

田中誠一

三世の太鼓への理解

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

桑港囃子 - 一世の人たちへ捧げる

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

手作りの太鼓

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

太鼓哲学

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

ノスケ・アキヤマ

太鼓を通しての日本文化の再発見

サンフランシスコ太鼓道場の太鼓奏者・獅子舞

本郷悦男

渡米の理由

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

アメリカでの初めての太鼓パフォーマンス

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

太鼓のスタイルの違い

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)

本郷悦男

それぞれの太鼓グループの持つオリジナリティの重要性

太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)