ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1667/

収容所で日本の舞台芸術を守る (英語)

(英語)私の母は、(収容所で)舞踊家や師範をしているたくさんの芸術家と友達になり、それがきっかけで私も日本舞踊や三味線、長唄を始めたのだと思います。大好きで、本当に楽しんでいました。収容所での日々がなければ芸術や芝居には興味を持たなかっただろうと思います。特に気に入っていたのが歌舞伎です。自分が発している台詞の意味は全くわかりませんでしたが、母はそれがどういう言葉でどういう意味かを教えてくれて、私はただ暗記していました。カタカナは読めたので、母がカタカナで書き写してくれました。私のお気に入りは、七段目*のお軽の役でした。覚えている台詞が一つあって、独特なので今も気に入っています。(台詞を披露)こんな風に、やたらドラマチックなんです。

*『仮名手本忠臣蔵』(通称『忠臣蔵』)の7段目


演技 俳優 アーティスト ダンス エンターテイナー 音楽 演劇 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2018年11月8日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジューン・バーク

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

タカヨ・フィッシャーは、1932年11月生まれの、舞台、映画、テレビで活躍する日系アメリカ人女優。第二次世界大戦中、子供だったタカヨは家族と共に西海岸を追われ、フレズノ集合センターに収監された後、ジェロームおよびロワーの強制収容所に収容された。その後タカヨはイリノイ州シカゴに住み、10代の頃に『ミス二世クイーン』コンテストで優勝。『マネー・ボール』(2011)、『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』(2007)、『幸せのちから』(2006)、『SAYURI』(2005)など、多くのメジャーなハリウッド作品に出演した経歴を持っている。舞台作品では1958年にニューヨークで『スージー・ウォンの世界』に出演し、ロサンゼルスのイースト・ウエスト・プレイヤーズ*の舞台にも多数出演している。(2018年6月)

*1965年に設立されたアジア系アメリカ人で構成されている劇団

イワオ・タカモト

マンザナーに向かう途中での喪失

ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラの日本人アニメーター(1925-2007)

モニカ・タイシャ―

フサガスガ強制収容所での祖父の話(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

モニカ・タイシャ―

フサガスガの強制収容所にいれられた祖父(スペイン語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士