インタビュー
アーカンソー州ジェロームで強制収容された祖父母(英語)
(英語)祖父がホノルルに戻ってきたとき、祖母は彼と一緒に自主的に避難するよう申請しました。当時、ハワイから1300人が米政府に検挙され、強制収容所に送られました。更に1000人が家族とともに自発的に加わったので、総計2300人が収容所へ行きました。とにかく、12月末に、祖父は単独で船に乗り、祖母と子どもたちは別の船に乗って、彼らはサンフランシスコで合流しました。このあたりがはっきりと分かりません。博物館の資料室で記録を見てみると祖父はツールレイクで収容されたと書いてあるのですが、彼がツールレイクにいたというのは聞いたことありませんでした。
私の叔母は彼らのアーカンソーのジェロームに電車で行かなければならなかった話を伝えています。電車はみな東海岸から西に向かって走っていたので、西方向行きの電車が通るたびに、線路から外れて電車が通過するのを待たなければならなかったと聞きました。普通なら3日ほどの旅が一週間かかったそうです。叔母が言うには、それまで一度も泣いたのを見たことがなかった彼女の父が、常に涙を浮かべていたそうです。しかし、彼は自分の子供達に日本は愚かで、戦争でアメリカに勝てるわけがなく、世界でアメリカが一番の国だと信じるよう言い聞かせていたそうです。この話を聞くと胸が痛みます。
日付: 2018年4月25日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター