ディスカバー・ニッケイ

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アーカンソー州ジェロームで強制収容された祖父母(英語)

(英語)祖父がホノルルに戻ってきたとき、祖母は彼と一緒に自主的に避難するよう申請しました。当時、ハワイから1300人が米政府に検挙され、強制収容所に送られました。更に1000人が家族とともに自発的に加わったので、総計2300人が収容所へ行きました。とにかく、12月末に、祖父は単独で船に乗り、祖母と子どもたちは別の船に乗って、彼らはサンフランシスコで合流しました。このあたりがはっきりと分かりません。博物館の資料室で記録を見てみると祖父はツールレイクで収容されたと書いてあるのですが、彼がツールレイクにいたというのは聞いたことありませんでした。

私の叔母は彼らのアーカンソーのジェロームに電車で行かなければならなかった話を伝えています。電車はみな東海岸から西に向かって走っていたので、西方向行きの電車が通るたびに、線路から外れて電車が通過するのを待たなければならなかったと聞きました。普通なら3日ほどの旅が一週間かかったそうです。叔母が言うには、それまで一度も泣いたのを見たことがなかった彼女の父が、常に涙を浮かべていたそうです。しかし、彼は自分の子供達に日本は愚かで、戦争でアメリカに勝てるわけがなく、世界でアメリカが一番の国だと信じるよう言い聞かせていたそうです。この話を聞くと胸が痛みます。


アーカンソー州 強制収容所 ハワイ ジェローム強制収容所 列車 アメリカ合衆国 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2018年4月25日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ロバート・フジオカ氏は1952年にハワイのホノルルで生まれた。ミシガン大学に進学し学士号を取得した後、ハワイ大学でMBAを取得。1974年以来銀行業界に携わり、現在は全米日系アメリカ人博物館理事会の副会長を務めるほか、Clarence T.C. Ching FoundationとFirst Hawaiian Bank Foundationでも理事を務めている。(2018年11月)

マーガレット・クロイワ

第二次世界大戦中の収容所(英語)

一世医師の娘

グレース・アイコ・ナカムラ

収容所でラリーが椅子をデザイン(英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

ペルーから連行中のアメリカの輸送船の状況(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ロジャー・シモムラ

戦中の体験を尋ねたときの父の否定的反応(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

子供の時にみた父の逮捕(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

藤間勘須磨

戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

フレッド・ササキ

第二次大戦中の排日感情(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)