ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1546/

日本人へ帰化することについて

ぼく実は、いつでも帰化してもいいなとは思っているんですね。ただ、あの、資料を集めるのが面倒なところがあって、って、こんなこと言ったらちょっと失礼なことかもしれないですけれども、だけど、今自分の仕事の環境の中でも、えー、ブラジルのままで苦労したこともなければ、で…うー、困ったこともないので、困っていないので、そのままになっているだけなんですね。

なので、まあ今ブラジルにもう戻るつもりも本当にない状況で、家もこうしてある状況なので、日本の中でみんなで頑張っていこうとは思っているので、本当はもうすぐにでも帰化しちゃったほうがいいかもしれないですけれどもね。でも、ま、そこはタイミングを見て、必要になった時に帰化しようかなぁとは思っているんですよね。

ま、自分の中では帰化したところで、ま、自分の中ではなにも変わらないと思っていて、帰化しても、やっぱり自分はブラジル出身であって、自分の名前であるパウロもやっぱり使い続けたいところはあるかもしれないですよね。


ブラジル人 市民権 アイデンティティ 日本人 在日日系人

日付: 2016年10月18日

場所: 日本、群馬県

インタビュアー: 小嶋 茂

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1979年1月、サンパウロに生まれる。熊本出身の祖父母を持つ三世で、日系人の多いリベルダージ近くモンチ・ケメル地域で育つ。1989年、デカセギとして来ていた父に呼び寄せられ日本へ移住。以来、群馬県大泉町で暮らす。移住当初は、言葉の壁に悩んでいたが、日本語を学ぶにつれ友達も増え、今では日本語を活かしながらグラフィックデザイナーとしてブラジル人コミュニティをサポートしている。2009年に独立し、デザイン事務所経営。大泉町を紹介するフリーペーパーを発行。大泉町をブラジルタウンにする夢をもち尽力中。(2017年8月)

恩智 敏子 エレナ

デカセギ者としての移動によっておこる家庭崩壊(スペイン語)

在日日系ペルー人

フランチェスカ・ユカリ・ビラー

両家族への適応(英語)

ユダヤ系日系アメリカ人ジャーナリスト

ジミー・ムラカミ

日本で英語を教える(英語)

(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター

A. ウォーレス・タシマ

人種差別に遭うアジア系アメリカ人弁護士(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

A. ウォーレス・タシマ

「個人の法律事務所には決して就職できなかった」(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

エーシー・コオロギ

野茂が後続の日本選手に与えた影響(英語)

ロサンゼルス・ドジャース元アジア部門部長

ジーン・玻満子・シュナイダー

二つの国に忠誠は尽くせない

戦争花嫁(1925年生)

上杉 武夫

米国への見方を変えてくれたアメリカ人(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

上杉 武夫

米国で最初に訪れた庭園(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

キャロウェイ・久松 照美

子どもと日本語

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

サワコ・アシザワ・ウチムラ

いくつかの生い立ちを持ったユニークなアイデンティティ(英語)

フィリピン生まれの引揚者、後にアメリカに移民(1938年生)

ファン・アルベルト・松本

日本在住の日系人をサポート

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

ファン・アルベルト・松本

在日日系コミュニティの変化

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)