ディスカバー・ニッケイ

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デカセギから定住へ

そうですね。少なくともぼくの周りに居る人たちは永住を考えていると思いますね。そうですね、もう、やっぱり、いつかブラジルに帰りたいと思っていた人たちは、リーマンショック以降、リーマンショックの直後、あと震災の直後に帰国してますので、実際にその不況の影響で大変な状況になった方たちもたくさんいますし、それでもやっぱり日本に住み続けたいと思った方たちが今、大泉町で頑張っている人たちなので、比較的にやっぱり…そうですね、もうずっと日本で暮らしていきたいと思う人たちが今大泉に残っていると思います。


出稼ぎ 外国人労働者 大泉 日本 日本における日系人 群馬県 開拓地

日付: 2016年10月18日

場所: 日本、群馬県

インタビュアー: 小嶋 茂

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1979年1月、サンパウロに生まれる。熊本出身の祖父母を持つ三世で、日系人の多いリベルダージ近くモンチ・ケメル地域で育つ。1989年、デカセギとして来ていた父に呼び寄せられ日本へ移住。以来、群馬県大泉町で暮らす。移住当初は、言葉の壁に悩んでいたが、日本語を学ぶにつれ友達も増え、今では日本語を活かしながらグラフィックデザイナーとしてブラジル人コミュニティをサポートしている。2009年に独立し、デザイン事務所経営。大泉町を紹介するフリーペーパーを発行。大泉町をブラジルタウンにする夢をもち尽力中。(2017年8月)

セリア・オオイ

日系ブラジル人イメージに対する日本の影響 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

ドリス・モロミサト

日系人のペルー社会への融合 (スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

田岡 功

パラグアイからのデカセギ者の現状

パラグアイ駐日大使(1943年生)

恩智 敏子 エレナ

デカセギ者としての移動によっておこる家庭崩壊(スペイン語)

在日日系ペルー人

アントニオ・シンキチ・シコタ

大泉町の日系ブラジル人への政府の支援(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

日本のブラジルタウン・大泉町(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

日本の日系コミュニティの将来(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

リーマンショック以降の日系コミュニティの変化(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

工場労働者から自分のビジネスを持つまでの道のり(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

大泉町がブラジルタウンになった理由(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

大泉町の日系ブラジル人(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

ファン・アルベルト・松本

日本在住の日系人をサポート

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)