インタビュー
リーマンショックを機に日本語のできるグラフィックデザイナー として独立
大泉町の中では、大きな影響を与えましたね。特にリーマンショックは大きかったんですけども、たくさんの失業者も出て、ブラジルのお店も、以前のように、売れない状況が、続いて。
ただそれはいいこともあったんです。先ほどもお話したように、やっぱり日本語を勉強したいと思う人も増えれば、もっと日本人を取り込まないといけないと思うことも増えていく中で、ぼくにとってはチャンスにはなりましたけどもね。やっぱり、日本語ができる人が少ない状況の中で、ぼくはグラフィックデザインで頑張っていこうと思ったときに、ぼくの強みは何だろうと思ったときに、日本語ができるグラフィックデザイナーしか思い浮かばなかったので、ちょうどタイミングが良かったかもしれないですね。
ぼくが独立したのが2009年の6月なので、ちょうどお店の人たちが苦しんでいるときに、やっぱり日本語のメニューを作らないと、日本語の案内が欲しい、そんな要望が増えていく中で、ぼくは独立しましたので、ぼくの、えー、長所をまぁ、長所と言ったらなんかあれかな、まあ、自分の得意分野とするところで、すぐに、仕事につなげられたところがありましたので、ま、あの、大変だったところもあれば、やっぱりそれが、きっかけとなって、大きな動きに変わっていったというところでは、すごくよかったような気がしますね。
日付: 2016年10月18日
場所: 日本、群馬県
インタビュアー: 小嶋 茂
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター