ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1422/

ウォルター・オマリーの哲学(英語)

(英語)僕は、ウォルター・オマリーには、日本野球を支援するという信念があったのだと理解しています。日本野球を支援することは、結果的にドジャースのためにもなるのです。その信念は、台湾、韓国、オーストラリア等にも引き継がれましたが、我々は日本野球を支援し、1958年、読売ジャイアンツから選手と監督を招き、合同でトレーニング・キャンプを行いました。トミー・ラソーダが宮崎でドジャースの戦法を伝授した後、読売ジャイアンツは、9回連続優勝を成し遂げました。当時の川上監督は、読売ジャイアンツの9回連続優勝はドジャースの戦法のお陰だと称賛しました。

当時の日本人は、皆このことを知っていました。日本野球の支援というウォルター・オマリーの信念は、今日の私たちまで、一連の流れとしてつながっていると思うのです。


野球 野球場 カリフォルニア州 日本 ロサンゼルス ロサンゼルス・ドジャース サンフランシスコ・ジャイアンツ 東京(首都) 東京都 トミー・ラソーダ アメリカ合衆国 ウォルター・オマリー

日付: 2014年3月21日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: マーク・ランギル

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

エーシー・コオロギ氏は、ロサンゼルス・ドジャースの元アジア部門部長として、また、球団オーナーのピーター・オマリー氏のアシスタントとして20年間ドジャースに所属しました。現在は、MVPスポーツグループでアジア部門部長を務めています。コオロギ氏は、20年間のドジャースでの仕事の中で、野茂英雄、斎藤隆、黒田博樹、パク・チャンホ、郭泓志といったメジャーリーグのスター選手の人気獲得に貢献しました。ディスカバー・ニッケイによるコオロギ氏のインタビューは、全米日系アメリカ人博物館で開催された「ドジャース:ゲームの同志」展に併せて行われました。(2014年9月)

ルイス・ヤマダ

日系人としての誇り(スペイン語)

二世日系アルゼンチン人 (1929年生)

レイコ・T・サカタ

養子縁組の物語

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。

ヘンリー・須藤

日本での学校生活

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

ヘンリー・須藤

アイデンティティ

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

天野美代子

天野芳太郎の日本でのビジネス

天野博物館館長 (1929年生)

関利彦

寿司職人として成功するまで

寿司職人(1962年生)

田岡 功

日本の若者に対して感じること

パラグアイ駐日大使(1943年生)

マーガレット・ナルミ

野茂のリスク(英語)

NHKコスモメディアアメリカ プロデューサー

マーガレット・ナルミ

1995年の野茂旋風

NHKコスモメディアアメリカ プロデューサー

ジーン・玻満子・シュナイダー

アメリカへの移住して良かったこと

戦争花嫁(1925年生)

上杉 武夫

ニューヨークで学んだ後、日本に帰国(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

ジミー・コウ・フクハラ

東京での任務(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

大泉とブラジルの日系コミュニティとの違い

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

アントニオ・シンキチ・シコタ

日本に住むメリット(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

大泉町の日系ブラジル人への政府の支援(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)