ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1432/

アメリカへの移住して良かったこと

日本にいたら、あの頃アメリカ人と一緒に住めなかったですね。こっちへ来てから、家の主人の親戚が皆私によくしてくれて、やっぱり来て良かったなぁと思いますね。今はもう日本は、皆さん外国人と一緒に住んだり、なんていうんですか、日本はすごく国際化が、進歩が激しいでしょう。だけどあの頃はまだねえ、ちょっと恐ろしかったです。だから、手放しで喜んでいいのかどうか、わからなかったです。


日付: 2012年1月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジーン・玻満子・シュナイダー(旧姓:天野)さんは、1925年、横浜に生まれる。1933年、ラテンアメリカでビジネスをする父芳太郎に連れられパナマで2年間過ごした。パナマへ残った父は、1942年に捕虜交換船によって日本へ戻ってきた。戦後、ラジオ局に勤めていた玻満子さんは、MISの一員として日本へ駐屯していたハリー・シュナイダーさんに出会う。1948年、日本でハリーさんと結婚し、1950年に戦争花嫁としてアメリカに渡る。その後、一女をさずかり、早いうちにアメリカの市民権も取得した。現在は、カリフォルニア州エンシニータスに在住している。(2014年9月)

山野愛子ジェーン

アメリカと日本のいいところを受け継ぐ(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

日本文化の伝統を保存(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

ウェイン・ヨコヤマ

雑誌社での就職(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

1952年、戦後まもない日本での不自由な生活 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

ルイス・ヤマダ

日系人としての誇り(スペイン語)

二世日系アルゼンチン人 (1929年生)

ヘンリー・須藤

日本での学校生活

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

ヘンリー・須藤

アイデンティティ

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

天野美代子

天野芳太郎の日本でのビジネス

天野博物館館長 (1929年生)

田岡 功

日本の若者に対して感じること

パラグアイ駐日大使(1943年生)

マサカツ・ハイメ・アシミネ・オオシロ

日本に対するイメージ:期待と現実(スペイン語)

ボリビア元駐日大使 (1958-2014年)

恩智 敏子 エレナ

日本語を知る重要性を更に認識(スペイン語)

在日日系ペルー人

堀切 エドワード・徹

子どもの頃のアメリカへのイメージ

帰米二世(1929年生)

堀切 エドワード・徹

帝国軍人になりたかった少年時代

帰米二世(1929年生)

堀切 エドワード・徹

ボーディングハウスと一世

帰米二世(1929年生)