ディスカバー・ニッケイ

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第522野戦砲兵大隊とダッハウ強制収容所(英語)

(英語)時々、雪が堆積しているところを目にしました。その下には、死体がありました。そうです、強制収容所はそういうところなんですね。(咳払い)ある男の話ですが、彼は何か物音を聞いたと言いました。彼らのグループは谷の方に連れて行かれ、全員銃で撃たれたそうです。彼も倒れましたが、疲弊していたので、そのままじっとしていました。 その後、ドイツの軍人達は、我々が迫って来ていたのでその場を去りました。彼は生きていました。雪に覆われていましたが、雪の下は温かく、夜を越すことができました。次の日の朝、彼は物音で目を覚まし、トラックを見つけました。我々の部隊の兵士でした。トラックは丘の上に止まっていて、兵士が自分の方に向かって来るのを見たそうです。彼は、自分の方に向かう兵士を見て、また撃たれると思いました。 すると兵士は、ポケットに手を入れ、お菓子を取り出して彼に渡したそうです。彼は、兵士にお菓子を貰ったのは初めてだと言いました。そしてそれが、第442連隊戦闘団下にあった、第522野戦砲兵大隊でした。


第442連隊戦闘団 第522野戦砲兵大隊 ヨーロッパ アメリカ陸軍 第二次世界大戦

日付: 2013年2月12日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ダンカン・ウィリアムス

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター,ニットータイヤ「Life History Project」の協力。南カリフォルニア大学「Hapa Japan Database Project」による提供。

語り手のプロフィール

バージル・ウエストデール氏は、1918年、インディアナ州の農場でニシムラ家の5人兄弟の4番目として生まれました。父は日本人、母親はイギリス・ドイツ系でした。ウエストデール氏は、大学在学中飛行士となることに興味を持ち、自家用飛行機操縦士の資格を取得しました。

第二次世界大戦が始まり、日系であることを理由に、彼の商業用操縦士資格は剥奪されました。ウエストデール氏は、法的に姓を変え、ニシムラの西をウエスト、村をデールとし、ウエストデールと改名しました。彼は、アメリカ陸軍航空隊に入隊しましたが、1年後、軍部に日本人との混血であることが知られると、降格処分を受け、強制的に第442連隊戦闘団へ入隊させられました。彼は、イタリアとフランスに出征し、「失われた大隊」の救出に加わりました。終戦間近には、第522野戦砲兵大隊に編入し、ドイツのダッハウ強制収容所でユダヤ人収容者の救出にも加わりました。

戦後、ウエストデール氏は2つの学位と25の特許を取得し、科学分野の研究開発における国際賞を受賞しました。引退後は、運輸保安庁で14年間働きました。

ウエストデール氏は、共同で自伝「Blue Skies and Thunder: Farm Boy, Pilot, Inventor, TSA Officer, and WWII Soldier of the 442nd Regimental Combat Team」を執筆し、2011年には名誉黄金勲章を受賞しました。2022年2月8日、104歳にてなくなりました。(2022年2月)


*ダンカン・ウィリアムス氏によるバージル・ウエストデール氏へのインタビューは、展示「Visible & Invisible: A Hapa Japanese American History」(目立つ、目立たない:日系アメリカ人“ハパ”の歴史)のために行われました。この展示は、南カリフォルニア大学による「Hapa Japan Database Project」との共催により、ニットータイヤ「Life History Project」の協力を得て開催されています。撮影はエヴァン・コダニ氏。

イワオ・タカモト

マンザナーに向かう途中での喪失

ウォルト・ディズニーとハンナ・バーベラの日本人アニメーター(1925-2007)

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ペルーから米国へ強制連行(英語)

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米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

モニカ・タイシャ―

フサガスガの強制収容所にいれられた祖父(スペイン語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティで歓迎を受けた家族(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

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