ディスカバー・ニッケイ

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法案の支持者を求めて(英語)

(英語)法案を提出するにあたって、議会の重要人物の支持を得る必要があると考えました。私が法案を提出しても、「ミネタは強制収容所に居たから、自分自身の為だろう」と言われたでしょう。そんな訳で、私たちはこの法案の先頭に立たない方がいいだろうと考えました。司法委員会所属の議員が、委員会でこの法案を検討し、支持者として手を挙げてもらうことが必須であると考えました。私たちはこのことについてかなり広範囲な調査を行いました。

そして私は、様々な議員を訪ね、支持を得るためにマンツーマンで話をしました。 上院司法委員だったオハイオ州のトム・カインドネス議員を訪ねた時のことです。「やあ、いらっしゃい、ノーム。今日はどういう要件だね?」と迎えられ、私は法案について話し、委員会の設置を考えていること、そして強制退去と収容に関する問題の全てを説明しました。

すると彼は、遠くの方に目をやり、「うん、その話は聞いたことがある。実は、昔の上司が関わっていたらしいんだ」と言いました。私は、「本当かい?何の仕事だね?」と尋ねると、「オハイオのインターナショナル・ペーパー・カンパニーで法律顧問の仕事をしていたのだが、当時、政府関連業務担当の副社長がワシントン本部にいて、彼が何か関係していたらしい。」私は、「そうなんですか。その人の名前は?」と訊ねました。「カール・ベンデトセン」と彼は言いました。 「何てことだ。日系人の立ち退きを工作し、我々を収容所に放り込んだ張本人じゃないか。」私は心の中でそうつぶやきました。

私は書類をまとめ、「トム、時間を割いてくれてありがとう」と言い残し、オフィスを後にしました。グレンと私は歩きながら、事前に調査し、話す相手のことをよく知るべしとは言うが、トムの過去は本当に知らなかったな、と言いました。


政府 政治 リドレス運動

日付: 2008年7月4日

場所: 米国、コロラド州

インタビュアー: トム・イケダ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ノーマン・ミネタ氏は、1931年11月12日に生まれました。第二次世界大戦中、ミネタ氏は家族と共にハートマウンテン強制収容所に収容されました。

彼の政治家としてのキャリアは、サンノゼ市会議員への任命に始まりました。副市長を経て、1971年サンノゼ市市長に就任しました。

ミネタ氏は、1975年から1995年下院議員を務め、1988年の「市民の自由法」(H.R. 442, the Civil Liberties Act of 1988、日系アメリカ人補償法)の成立を陰で支えました。この法案の成立により、政府は、第二次大戦中の日系人強制収容を違憲と認め、強制収容された日系人に公式に謝罪し、損害賠償を行いました。

2000年、ミネタ氏は当時のクリントン大統領による任命で初のアジア系アメリカ人内閣として商務長官に就任しました。翌年、ジョージ・W・ブッシュ大統領の任命により唯一の民主党内閣として運輸長官に就任しました。また、ミネタ氏は、この役職が制定された1967年以降最も長く同職を務めた議員でした。(2011年12月)

ヘンリー・ミヤタケ

歴史は変化し続ける(英語)

補償運動の発起者の一人(1929-2014)

チェリー・キノシタ

賠償金請求の必要性 (英語)

補償運動のリーダーの一人 (1923 - 2008年)

チェリー・キノシタ

苦しみを乗り越えて (英語)

補償運動のリーダーの一人 (1923 - 2008年)

ビル・ホソカワ

賠償(リパレーション)から補償(リドレス)へ (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

ビル・ホソカワ

証拠の強み (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

ピーター・アイロンズ

動かぬ証拠の発見 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

ピーター・アイロンズ

学ぶべき教訓 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

チエ・トミヒロ

聴聞会の証人委員としての役割 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

チエ・トミヒロ

話すことを阻んだ恥の意識 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

チエ・トミヒロ

今後すべきこと (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

バート・ナカノ

補償運動への参加者の増加 (英語)

政治活動家 (1928-2003年)

バート・ナカノ

ワシントン政界の説得 (英語)

政治活動家 (1928-2003年)

バート・ナカノ

大衆の力 (英語)

政治活動家 (1928-2003年)

ジョージ・ヨシダ

三世と補償運動(英語)

音楽家 (1922年)

ウィリアム・マルタニ

補償金額の算出(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事