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Sataye Shinoda


Professor at the Faculty of Humanities, Tokyo Kasei University. Graduated from the Graduate School of Japan Women's University. Specializes in Japanese-American history and literature. Major works: Co-edited and authored "Collection of Japanese American Literary Magazines," co-authored "Japanese Culture in North and South America" ​​(Jinbun Shoin, 2007), co-translated "Japanese-Americans and Globalization" (Jinbun Shoin, 2006), co-translated "Yuri Kochiyama Memoirs" (Sairyusha, 2010), and others.

(Updated February 2011)


Stories from This Author

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その3/8

July 15, 2011 • Sataye Shinoda

その2>>2.『ポストン文藝』の創刊と目的ポストンで最初に文学活動を開始したのは「ポストン歌会」で、1942年9月に第1回歌会が開かれたという記録がある。開所当時は印刷物の配布が禁止されていたため、歌会を開いても、そこで詠まれた短歌を印刷して配ることさえ許されなかった。 そこで川柳愛好者の矢形渓山と石川凡才(庄蔵)は川柳を書いた大きい紙を週に1、2回メスホール(食堂)入り口に貼り出した。36ヵ所の食堂に貼って歩くのに2日かかったというから、川柳にかける2人の熱意は大変なもの…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その2/8

July 8, 2011 • Sataye Shinoda

その1>>しかし収容者は協力してこの不毛の地を次第に人の住まいらしく変えていった。 まず人びとがしたことは、砂塵を防ぐための植樹であった。砂漠に生えているコットンウッドや柳の一種は厳しい環境に耐える強い生命力をもっていたので、挿し木で簡単に苗を作ることができた。収容者には農家も多かったので、このような作業は得意であった。木ばかりでなく、家の周囲には、デヴィル・グラスという芝草の一種も植えて芝生の代用にした。デヴィル・グラスは根が深く、畑にはびこると除去が難しい嫌われものの雑…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その1/8

July 1, 2011 • Sataye Shinoda

ポストン収容所(以下ポストンとする)では二つの文芸雑誌、『ポストン文藝』および『もはべ』が発行された。前者はポストン文芸協会により1943年2月、後者はポストン・ペンクラブによって3月に相次いで創刊された。とくに「ポストン文藝」は全ての収容所の雑誌の中でもっとも早く発行され、収容所が閉鎖になる2ヶ月前まで続いた。3年近く継続して発行された収容所雑誌は『ポストン文藝』のみである。 『若人』『怒濤』のような青年団機関誌、『鉄柵』のような文学誌とは異なり、『ポストン文藝』は一般的…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その6/6

May 20, 2011 • Sataye Shinoda

>>その54.『鉄柵』の特色と果たした役割『鉄柵』の特色は、第一に一世の指導の下に創られた帰米二世の文学同人誌であること。加川文一、泊良彦など戦前から詩人や歌人として評価を得ている一世が指導的立場にいて、主力は帰米二世の若者たちであった。彼らはきわめて身軽な独身者で、ある意味では収容所を読書と思索、創作の場とすることができた。この時期は日系社会の主導権が一世から二世へと移行した時代であるが、この世代交代は文学の世界でも同様で、一世の指導のもとに帰米二世という新しい世代の台頭…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その5/6

May 13, 2011 • Sataye Shinoda

>>その4井阿之雨という変ったペンネームで書いているのは、戦後長い間ロサンジェルスの日系新聞『羅府新報』の編集長を勤めた帰米二世の矢野喜代士である。矢野の戦前のペンネームは創刊号で使っている丸山定夫であったが、収容所ではアメリカ人がYANOを発音するときの「イアノウ」を漢字にあてはめて井阿之雨としたのだという。 「終身教室」(第3・4号)、「ジャーナリズムに現はれた精神分析」(第6号)、「常識と文化」(第8号)、「直観について」(第8号)、および丸山の名で短編小説「智識人の…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その4/6

May 6, 2011 • Sataye Shinoda

>>その3編集者のひとり河合一夫は、樋江井良二のペンネームで書いている。彼はたいへんな文学青年で、岩波文庫をほとんど全巻揃えて収容所へ持ってきたほどの読書家だったという。 詩は「君が像を彫れり」(創刊号)、「鮭」(第2号)の2篇、長編小説「時代」を創刊号から第6号を除く第7号まで6回連載している。長編小説となっているが、一貫したストーリーはない。第5号までは、ひとりの青年と隣に住む人妻が姉と弟のような交際をするが、近所の人びとのうわさの種にされ、自分の純粋な気持ちが理解され…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その3/6

April 29, 2011 • Sataye Shinoda

>>その23.『鉄柵』の内容他の収容所の出版物と比べると、『鉄柵』には小説が多く掲載されている。その小説は圧倒的に短編だが、3篇の連載長編小説もある。このほかに随筆、評論、詩と短歌・俳句などの短詩型文学が配置されているが、川柳は掲載されていない。編集者はあくまでも「文学」にこだわり、文学的水準の高い作品を望んだ。編集者のひとりはのちに、同じ収容所で発行された『怒濤』との相違点は作品の質の高さだったと筆者に語っている。さまざまな作品が持ち込まれたが、質の低いものは掲載せず、そ…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その2/6

April 22, 2011 • Sataye Shinoda

>>その12.『鉄柵』の創刊と目的1943年の晩秋、3人の帰米青年が毎晩のように加川文一の家に集まっていた。彼らはグラナダ収容所から来た山城正雄と野沢襄二、ポストンからの河合一夫であった。お互いにロサンジェルス市立ポリテクニック・ハイスクールを卒業した友達同士で、文学という共通の趣味で結びついていた。その頃は忠誠者と不忠誠者の交換がほぼ終了し、次第に過激な親日派が勢力を伸ばし始めており、3人は不忠誠を選択したものの、所内の雰囲気に馴染めなかった。過激な帰米青年たちの運動に巻…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その1/6

April 15, 2011 • Sataye Shinoda

トゥーリレイク収容所の文学同人誌『鉄柵』は、収容所で発行された雑誌のなかでもっともよく知られている。『カリフォルニア強制収容所』(白井昇、1981年)で詳しく紹介されているほか、『南加文芸選集』(藤田晃編、1981年)および『遠い対岸』(山城正雄、1984年)、『帰米二世』(山城正雄、1995年)など日本で出版された本のなかで言及されている。そのため帰米二世文学のルーツは『鉄柵』にあると言うのが定説になっている。しかしその全容は明らかにされていない。当事者の野沢襄二は『南加…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
青年活動から生まれた文芸誌『怒濤』-その5/5

April 8, 2011 • Sataye Shinoda

>>その4青年団の機関誌であっても投稿者は団員に限られたわけではない。編集者はいっそう読みごたえのあるものにするために、すでに日系文壇で知られた人にも原稿を依頼した。そのためかなりの数の一世の作品が含まれている。 戦前、『收穫』に寄稿している森百太郎は一世で、団員の若者とは一世代年長であったが、小説「或る系譜」(第4号)、「幕末の或る数学家」(第5号)、「師の印象」(第6号)、「馬鹿庄」(第7号)、および散文詩「流れ」(第5号)、啓蒙読物「女性読本」(第3号)を載せている。…

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