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Sataye Shinoda


Professor at the Faculty of Humanities, Tokyo Kasei University. Graduated from the Graduate School of Japan Women's University. Specializes in Japanese-American history and literature. Major works: Co-edited and authored "Collection of Japanese American Literary Magazines," co-authored "Japanese Culture in North and South America" ​​(Jinbun Shoin, 2007), co-translated "Japanese-Americans and Globalization" (Jinbun Shoin, 2006), co-translated "Yuri Kochiyama Memoirs" (Sairyusha, 2010), and others.

(Updated February 2011)


Stories from This Author

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
青年活動から生まれた文芸誌『怒濤』-その4/5

April 1, 2011 • Sataye Shinoda

>>その34.『怒濤』の内容これは機関誌という性格から、青年団の活動報告などが多数掲載されていると考えられるが、そのような記事は少ない。野球が創刊号と第2号に、相撲大会の結果が第2号に、各部の行事は創刊号、第2号、第5号で扱われているが毎号載っているわけではない。スポーツ大会の結果は週一回発行の新聞紙上に掲載されたため、ニュース性の少ない機関誌には載らなかったのであろう。 特徴としては青年たちを啓蒙する記事が多く掲載されている。安芸良「結婚と出産とキャンプ生活」(創刊号)、…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
青年活動から生まれた文芸誌『怒濤』-その3/5

March 25, 2011 • Sataye Shinoda

>>その2収容所の出版物には当局の検閲があった。『怒濤』も例外ではなかった。 藤田によれば創刊号の記事は検閲にパスするよう慎重にことばを選び、すべて翻訳して提出した。これが承認されたのち、第2号からは翻訳を提出する義務を免除されたという。その後は日本へのそれぞれの思いをかなり自由に表現することができた。それは創刊号の「巻頭言」のなかで日本は「彼方のうましくに」「黎明の彼岸」と表現されているが、第3号では「純白の地に旭日を以って描かれた明るき世界」となって、日章旗のイメージを…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
青年活動から生まれた文芸誌『怒濤』-その2/5

March 18, 2011 • Sataye Shinoda

>>その12.鶴嶺湖男女青年団の結成隔離収容所となった1943年の秋ころから、青年団を作ろうという動きが起こったが、それが本格化したのは、さきに述べた「現状維持派」と「現状打破派」の対立が深刻になった時期であった。これら二派の対立は、市民権の蹂躙への抗議や、合衆国に忠誠か不忠誠かといった日系人の思想の根本的な問題から生まれたものではなかった。良識のある人びとの目にはその対立は単なる醜い勢力争いとしか写らなかった。自分たちがそのようは無益な対立に巻き込まれ、次第に生きる指針を…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
青年活動から生まれた文芸誌『怒濤』-その1/5

March 11, 2011 • Sataye Shinoda

トゥーリレイク収容所は、日本語出版物のもっとも多い収容所である。文学誌の性格をもつものは『怒濤』および『鉄柵』のほか、短歌誌『高原』がある。『高原』は泊良彦の主宰する「東津久仁短歌会」の短歌誌である。単行本では加川文一の随筆集『我が見し頬』、矢尾嘉夫の歌集『歸雁集』、泊良彦の歌集『渦巻』が発行された。 複数の日本語雑誌があるのはこの収容所のみで、これらの雑誌は収容所が「隔離」収容所となった1943年7月15日以降に発行された。「隔離」とは、同年2月に実施された「忠誠登録」で…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その5/5

March 4, 2011 • Sataye Shinoda

>>その4『若人』第三号は8月30日に発行された。編集部によれば、戦時転住局はすべての作品を翻訳し、英文と和文の両方を掲載すべきであると主張したという。しかし、双方の折衝の結果、従来通りの形式で許可された。青年会の会員は大部分がトゥーリレイクへ隔離されることになっていたため、戦時転住局はその動向に必要以上に神経をとがらせていたと思われる。 この年の夏はとくに猛暑で、温度計が破裂して水銀が飛び散るほどであったが、編集者は最後を飾る立派な雑誌を発行しようと暑さの中で奮闘したとい…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その4/5

Feb. 25, 2011 • Sataye Shinoda

>>その33. 比良男女青年会機関誌『若人』1943年2月に忠誠登録が実施されると、青年会の活動は難しくなった。会員の大多数は合衆国への忠誠を拒否し、隔離収容所への移動または日本への送還を希望した。したがって当局は青年会を危険分子の集団と見なし、役員を逮捕してユタ州モアブ抑留所へ送った。当局に反する目立つ言動はなかったにもかかわらず、会長の山城譲治はじめ幹部の土井静夫など10名が逮捕されて、青年会以外の人びとと合わせて50名ほどがモアブへ送られた。指導者を失った青年会が体制…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その3/5

Feb. 18, 2011 • Sataye Shinoda

>>その22. 『若人』創刊の背景 -比良男女青年会の活動-収容所への移動が完了してほどなく、帰米二世たちが集まって帰米男女青年会が発足した。急激な環境の変化によって落ち着かない生活を送っていた若者たちも、収容所生活を少しでも楽しいものに変えようと考え始めた。そして親睦会という形で始まったのがこの会であった。若者の中には、将来に絶望して非行に走り、ぞろぞろと群れをなして所内をのし歩き、顰蹙(ひんしゅく)をかう者もあった。帰米二世たちはアメリカの民主主義を信じていたにもかかわ…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その2/5

Feb. 11, 2011 • Sataye Shinoda

>>その1所内には戦場で使用するカモフラージュネットの工場があり、住民に戦争努力への貢献を求め、市民権を持つ人のみが働くことを許された。また、早くも1942年9月から戦時転住局の斡旋で、綿花摘みの労働者が求められた。アリゾナ州は全米の4分の3の量の長い繊維の綿花を産出し、それは戦時国防必需品であった。戦時中の労働者不足のため、収穫には収容者の労働力がぜひとも必要であった。戦争努力に貢献すると同時に賃金も得られるとあって、多くの男女が応募し、一度に約100名ずつ外部へ就労して…

Research on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines
『若人』 -帰米二世文学の芽生え- その1/5

Feb. 4, 2011 • Sataye Shinoda

1. 『若人』創刊の地 ―ヒラリヴァー収容所― 『若人』が生まれたヒラリヴァー収容所、正式にはヒラリヴァー戦時転住所(以下ヒラとする)は、アリゾナ州のピマ・インディアンの居留地のなかにあった。第一次世界大戦中に戦死したピマ族の兵士の名に因んで名付けられたこの地には、アメリカ先住民が細ぼそと農業を営んでいた。ここはフェニックス市内から約64キロメートル離れており、外部の者との接触がほとんどないことから日系アメリカ人収容所の立地条件を満たしている。収容所は第一と第二の二つ区域に…

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