Tomomi Iino

津田塾大学後期博士課程在籍中。アメリカ東海岸の日本人移民について関心を持っています。現在、北欧短期滞在中。北欧のなかの「日本」を探索しています。

(2008年5月 更新)

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『ヒロシマナガサキ』 - 日系人監督の映画が話題に

第二次世界大戦終結から62年を迎えた昨夏、日本では日系アメリカ人監督による2つのドキュメンタリー映画が話題になった。スティーヴン・オカザキ氏の『ヒロシマナガサキ』(原題 White Light / Black Rain) とリサ・モリモト氏の『TOKKO/特攻』だ。先の大戦をテーマにした映画はこれまでにもあったが、この2作品は日本人にとって特別な意味を持っているよ うに思われる。ひとつには、日本人にとっての日系人に対する親近感。そして、日系人監督の日系人としての感覚とアメリカ人としての視点。それらが作品を見 る私たち日本人に語りかけるものは何か―8月9日の長崎原爆の日に『ヒロシマナガサキ』を見て考えた。

この作品は、広島と長崎で被爆した14人と実際に原爆投下にかかわった4人のアメリカ人の証言を当時のアメリカのニュース映像などを盛り込みながら 伝えている。原爆投下直後の映像はこれまでに見たことのない、衝撃的なものだった。しかし被爆者の体験談は、その悲惨な状況とは裏腹に淡々と語られる。た とえば養育施設でともに過ごし被爆した2人の女性の会話は、ごく自然で被爆が彼女たちの人生の一部であることが伝わってくる。原爆と一人一人の命、人生を 静かにしかし強くあぶり出す。なかには、被爆経験を「いろんな人に話ししてもしかたがないと思って、長い間話さなかった」という証言者もいた。その思い は、日系人の戦争体験と共通するものがあるのではないだろうか。

日本では、このような「語り」はテレビのドキュメンタリー番組や、広島や長崎での被爆者による活動で聞くことがあるが、映画として公開されたことは ほとんどなかったように思う。被爆体験者に生々しい現実とつらい体験をあえて公表させたのは、彼らの「伝えたい・伝えなければ」という思いだろう。オカザ キ氏は構想以来25年かけて500人以上の被爆者に会い、100人に対して取材を行ったという。戦争の記憶が風化されていくなか、オカザキ氏自身の「今伝 えなければ」という思いが、被爆者の心を開いたのだろう。

そしてその思いは、冒頭の渋谷の街での高校生へのインタビューを見る私たちにも迫ってくる。現在、日本の人口の75%が1945年以降の生まれだ。 街頭での「1945年の8月6日に何が起きたか知っていたら教えてください」という問いかけに、高校生たちは答えられない。彼らは、あの日に何が起こった かを知らないのだ。恣意的な構成かと思うかもしれないが、オカザキ氏によると、当初は3,40人にインタビューする予定だったが、最初に聞いた8人がすべ て答えられなかったので、これも一つの現状であるとして紹介したという。

唯一の被爆国として原爆の恐ろしさ、戦争のおろかさを世代を超えてきちんと伝えてこなかった(であろう)日本人の原爆に対する意識というのは、実は とても希薄なのではないか。そしてそのことに日本人は気がついていないのではないか。原爆について知っているようで知らない、日本人として、そのような認 識を新たにした。

日系人という親近感もあってか、オカザキ氏とこの作品はテレビや新聞などの日本のメディアでもたくさん取り上げられた。しかし、この作品には、たと えば当時のアメリカのメディアが伝えた日本に対する見方など、アメリカの視点が感じられる。それが原爆を語るこの作品の客観性ではないだろうか。

映画評論家の佐藤忠男氏は、オカザキ氏の客観性を評価している。日本で作られるこの種の作品では、原爆被害については語るものの、その原因とそれに ついての反省が省略されることが多い。そのため、日本人は広島長崎についての多くの情報を持ちながら、世界に向けてうまく発信できずにきたという(上映パ ンフレットより)。

この作品では、1931年の満州事変から日本が軍国主義を歩む過程を当時のアメリカのニュース映像を使ってまとめている。また、第二次大戦までの 10年間駐日米国大使を務めたジョセフ・グルーの「日本人はまったく異なる人種」で「最大の違いは思考回路」であり、「彼らの思考は2000年も時代遅 れ」だと語った資料映像によって、当時のアメリカ側の日本人に対する見方が分かる。

この作品はナレーションやコメント、学術的解説などを一切用いていない。原爆投下の是非を政治的に語るのではなく、その時代背景を含めて客観的に静かに伝える姿勢が、多くの日本人にとっても共感を呼ぶだろう。

毎日新聞のインタビューの中で、この作品を作ろうと思ったきっかけを問われたオカザキ氏は、在米の被爆者と会ったとたんに「つながり」を感じたと答えてい る。オカザキ氏によると、彼らはアメリカに暮らしながらも日系人とは違ってとても日本人的で、アメリカはもちろん日系社会からも外れたアウトサイダーであ る。そしてオカザキ氏自身も日系文化の、アメリカ文化のアウトサイダーなのだと言う。在米被爆者とは形は異なるが、日本にいる被爆者も、ある意味でアウト サイダー的要素を持っているのかもしれない。それは、当時の「新型爆弾でやられた人たちはみんな伝染病にかかっている」という無知ゆえの噂で差別されたこ とや、現在も病んでいるのに国から原爆症であると認められないことなど、どこかに追いやられ取り残された存在であるかのようにも思えるからだ。そのような ことはあってはならないことだが、このことを意識させてくれたのもこの作品である。

また、オカザキ氏は、日本とアメリカの両方の視点でこの作品を作るうえで日系人であることの利点を語っている。もし日本人であったなら、被爆者への インタビューに多少の「遠慮」が働くのではないか、また白人のアメリカ人であったら、被爆者との間に壁ができてしまうのではないかということである(http://www.kansai.com/cinema/interview/070727_interview2.html)。日系人であるからこそ、被爆者が心を開き、その心の声を引き出すことができたのだろう。

広島に原爆が投下された日でもある8月6日には、この作品が全米でもテレビ放映されたという。日本では7月末から東京の岩波ホールでのみで上映され ていたが、8月に入って各地で上映が開始された。日系人監督の作品であるということで、一時の話題とならないよう、日本とアメリカだけでなく、この作品が 世界中の人びとに届くように願う。11月15日には、津田塾大学でオカザキ氏を招いて公開講座が開かれた(移民研究会共催)。若い世代はもちろん、一般の 人々にとっても、原爆、戦争、そして平和について考える絶好の機会となったことだろう。オカザキ氏はこの作品によって、原爆投下の当事国であるアメリカと 日本の橋渡しをしてくれたのだと思う。

*本稿は、移民研究会(ディスカバー・ニッケイの協賛団体)が協賛団体の活動のひとつとして、当サイトへ寄稿したものです。

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