海を渡った日本の教育
ブラジリア大学の根川幸男氏によるディスカバー日系コラム第2弾。「日本文化」の海外展開、特に中南米での事例として、世界最大の日系社会を有するブラジルの戦前・戦中期 から現在にいたる日本的教育文化の流れと実態をレポート。
このシリーズのストーリー
第10回 北パラナ地方(1)
2009年12月9日 • 根川 幸男
周知のように、ブラジルは世界最大の日系コミュニティを有し、その人口は約150万人とされる。日系人口はいくつかの地域に集中しているが、もっとも人口が多いのはサンパウロ州で、それに次ぐのが南隣のパラナ州である1 。同州内でも「北パラナ」と呼ばれる北西部に、日系人口が集中している。現在、ブラジルの「日本文化」プレゼンスで、もっとも熱いと言われるのが、この北パラナであり、ロンドリーナ(Londrina 人口約50万)、マリンガ(Maringá 人口約35万)という中核…
第9回 レジストロの場合
2009年11月5日 • 根川 幸男
サンパウロ州レジストロは、サンパウロ市から南西に約200キロ。パラナ州の州都クリチバに向かう国道116号線の半ばに位置する。大西洋に注ぐリベイラ川が大きく湾曲する地点で、川岸から西に向かって市街地が広がっている。 ここは、ブラジルでもっとも古い日系植民地の一つが開かれた地域である。1910年代初め東京シンジケート代表青柳郁太郎(1867-1943)らがこの地域の州有地を無償提供され、総称して「イグアペ植民地」と呼ばれるレジストロ、桂、セッテ・バーラス、キロンボなどの植民地を…
第8回 子どもと教員の生活世界(2)
2009年10月1日 • 根川 幸男
サンパウロ市在住のYT氏(1933年生まれ)は、日系二世の建築家で、筆者の大切な友人の一人だ。外国語教育が禁止された時期に幼少期を送った人だが、日伯両語のバイリンガルで、氏とお話する時はいつも日本語である。そんな氏とある日、戦中期の教育の話をしていて、ふと「Yさんは教育勅語なんて習ったんですか?」と聞いてみたところ、「全部言ってみましょうか」と言って、「チンオモウフニ、ワガコウソコウソウ、クニヲハジムルコトコウエンニ、トクヲタツルコト、シンコウナリ…」とやりは…
第7回 子どもと教員の生活世界(1)
2009年9月3日 • 根川 幸男
バイリンガル教育の効能が喧伝される昨今、思い至るのは1930年代のブラジル日系児童・生徒たちの言語生活である。当時の多くの日系の子どもたちは、午前中はポルトガル語でブラジル正課の授業を受け、午後からは日本人学校に通う(あるいはその逆)というバイリンガル生活を送っていた。同じ校舎で、半日はポルトガル語、あとの半日は日本語という学校も少なくなかった(写真7-1)。 RY氏はサンパウロ州アリアンサ出身の日系二世。見事な日伯語のバイリンガルで、1930年代の子どもの頃に歌ったとい…
第6回 女子教育(2)
2009年8月6日 • 根川 幸男
前回は、戦前のブラジルにおける日系女子教育の開花について述べた(本連載第5回参照)。こうした女子教育機関の教育内容として特筆されるのは、知識・教養の教授とともに、日系女子としてのしつけ、礼儀作法の教育が重視された点であろう(写真6-1)。日伯実科女学校の創立者郷原ますえもサンパウロ女学院創立者の赤間みちへも、ブラジルで発行されたいくつかの著書があり、礼儀作法についてそれぞれ健筆をふるっている。 たとえば、筆者の手元にある郷原の著書『生活の知恵―礼法―』は、1959年に日伯…