Descubra a los Nikkei

https://www.discovernikkei.org/es/journal/series/nihon-no-kyouiku/

Educación japonesa al otro lado del océano


18 de septiembre de 2008 - 30 de agosto de 2011

La segunda columna Discover Nikkei de Yukio Negawa de la Universidad de Brasilia. Como ejemplo de la expansión de la "cultura japonesa" en el extranjero, particularmente en América Central y del Sur, este libro informa sobre el flujo y la realidad de la cultura educativa japonesa en Brasil, que cuenta con la comunidad japonés-estadounidense más grande del mundo, desde la época anterior a la guerra. y los períodos de mitad de la guerra hasta el presente.



Historias de Esta Serie

第15回 おわりに

30 de agosto de 2011 • Sachio Negawa

約一年半の在外研究期間を日本で過ごし、久しぶりにブラジルに戻ってきた。1996年、筆者がブラジル渡航後に身を寄せた古巣であるサンパウロ人文科学研究所(通称「人文研」)で、この稿を起こしている。「ブラジル最古の日系教育機関」と言われるのはサンパウロ市の大正小学校だが、その校舎の跡地に現在のブラジル日本文化協会ビルが建ち、わが人文研は、そのビルの三階にある。 今回は一ヶ月あまりの調査で、サンパウロ市から、州内陸部のトゥッパン、アラサツーバ、アリアンサ、プレジデンテ・プルデンテ…

番外編1-フィリピン・ダバオ

14 de abril de 2011 • Sachio Negawa

「ミンダナオの山の中でね、いきなりその人にばったり出会って、「私はアイノコです」なんて日本語で言うんだもん。びっくりしちゃったよ」 フィリピン・ダバオ在住の日本人実業家のYA氏は、Aさんという一人のフィリピン日系人との突然の出会いをそう語る。当時はジャーナリストで、ミンダナオ島山岳部に出没する新人民軍(NPA)などゲリラの活動を追っていた。YA氏は、その時はじめてフィリピン日系人なるものの存在を知ったという。 ダバオは、ミンダナオ島にあるフィリピン共和国第三の都市。フィリ…

第14回 洋上小学校

14 de diciembre de 2010 • Sachio Negawa

戦前期から戦後期にかけて、海に囲まれた日本から外国への移民は、ほとんどすべてが海上輸送に拠っていた。移民船は海外渡航の主役であり、移民の誰もが船内生活を経験したものだった。 「洋上小学校」(船内小学校)は、移民船内で開校された小学校である。ブラジル移民は、家族移住が主であったので、主婦である女性や子どもたちが多く含まれ、航海中の賑わいや華やぎをあたえていた。洋上小学校は、小学校学齢期の子どもたちを対象とするものであり、航海日数のとりわけ長かったブラジル移民にもっとも多くの…

第13回 御真影・教育勅語・修身

10 de septiembre de 2010 • Sachio Negawa

戦前ブラジルの日系移民子弟教育の理念は、臣民教育、忠君愛国的教育であったとよく言われる1。では、臣民教育、忠君愛国的教育とはいかなるものであろうか。それは、御真影をいただき、教育勅語の精神を体得する「臣民」、すなわち天皇に対する忠誠心と愛国心を持つ「真の日本人」になることであったといえよう。 サンパウロの日本移民史料館に復元されている移民の掘建て家屋内には、天皇皇后両陛下の御真影が飾られ、異国に来ていかに苦労しようとも皇室への尊崇を忘れない日本人の健気さや忠君愛国の精神が表…

第12回 日系実業学校

21 de junio de 2010 • Sachio Negawa

ブラジルには実にさまざまな日系教育機関が存在したが、1930年代に農業学校や商業学校などいくつかの実業学校が設立されたことが確認できる。以前紹介したものの中では、日伯実科女学校やサンパウロ裁縫女学院など(本連載第5~6回参照)のほかに、レジストロ補修学校(本連載第9回参照)がそれに当たる。同校は別名「農業補修学校」と呼ばれ、日本語、ブラジル地理などの一般教養とともに農業技術など実業科目があった。サンパウロ州内陸部では、1938年には、ソロカバナ鉄道沿線のプルジデンテ・プルデ…

第11回 北パラナ地方(2)

17 de marzo de 2010 • Sachio Negawa

サンパウロ州境のカンバラからはじまった日系移民の北パラナへの入植は、同地方の開発とともに1930年代に広がりを見せ、日系教育もそれにしたがって拡大していった。ブラジル日系教育の統括機関であるサンパウロ日本人学校父兄会が1936年にブラジル日本人教育普及会改組され、会長に元外交官の古谷重綱が就任した。この普及会は、ブラジル国内に第1から第6支部を創設したが、第3支部に北パラナのカンバラ区、ロンドリーナ区、トレス・バラス区が入っている(ブラジル日本人教育普及會, 1937, p…

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Autor en Esta Serie

Sachio Negawa es profesor asistente en los departamentos de Traducción y Lenguas Extranjeras de la Universidad de Brasilia. Experto en Historia de la Inmigración y Estudios Culturales Comparados, vive en Brasil desde 1996. Se dedicó plenamente al estudio de las instituciones de aprendizaje en las comunidades japonesas y asiáticas.

Última actualización en marzo de 2007