ジャーナルの検索
en
ja
es
pt
第2回 60歳超えて踊りの「先生」 ~ 島田シズエさん(宇検村出身)
2017年11月に刊行された『宇検村誌 自然・通史編』によると、鹿児島県奄美大島の宇検村からのブラジル移民は大正7(1918)年9月に長崎港から讃岐丸でブラジルへ渡航した13家族、54人が初めてのブ…
加藤 里織 • 2019年2月11日
en
ja
es
pt
外国人労働者で揺れる日本と「移民国家アメリカの歴史」
気がつけば、周りは外国人
2年前、北海道の洞爺湖近くのシイタケ栽培場に案内されたとき、何人もの若い中国人女性が働いているのを目にした。「地元では若い人がいませんし、来てくれませんから」と、経営者が…
川井 龍介 • 2018年12月24日
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
ブラジルを「故郷」にするなら桜を植えよう — 郷愁とブラジル日本移民 - その2
その1を読む >>
ブラジルを「故郷」にするなら桜を植えよう
戦前移民にとって桜を見ることは夢だった。日本にしかないものだったからだ。
胡椒、黄麻、紅茶、数々の野菜など商品作物の苗や種は、戦前…
深沢 正雪 • 2018年12月21日
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
ブラジルを「故郷」にするなら桜を植えよう — 郷愁とブラジル日本移民 - その1
「静岡の茶畑そっくりだ」―サンパウロ市から南西に190キロほど下った海岸部レジストロの茶畑に取材に行き、故郷の光景を思い出した。
といっても、緑茶ではなく紅茶だ。聞けば、原料となる茶葉は緑茶も紅茶…
深沢 正雪 • 2018年12月20日
en
ja
es
pt
ウバトゥバさんは、1946年にアンシエタ島に閉じ込められた日本移民を思い出す日になるかもしれない
2017年5月24日水曜日、ウバトゥバ市の公式カレンダーにブラジル日系移民を称える日を設けることについて話し合う会議がウバトゥバで開催された。会議は市議会の一室で午前10時半ごろに始まった。出席した…
レナタ・モンディニ・タカハシ • 2018年10月31日
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
戦争、コーヒー、そして希望が水野良をブラジルへ連れて行った
水雲良は、恐れを知らず、決意と信念を持った武士のような強さで、1908 年にブラジルに日系移民の第一波をもたらしました。水野は、明治維新の激動の時代に日本に住んでいたが、明治維新では、200年以上の…
ルーシー・ジュディス・イイジマ • 2018年10月4日
en
ja
es
pt
150年の時を経て蘇る会津若松の魂のお茶
若松コロニーの歴史
今から約150年前の1869年、戊辰戦争で敗れた会津若松からアメリカ、カリフォルニア州ゴールドヒルに約22名の米国本土移民第一号のグループがやって来た。(ハワイへの最初の移民は…
馬上 直 • 2018年9月7日
en
ja
es
pt
ハワイにおける日本人移住の起源を明らかにする「元年者」展
元年者の物語は、劣悪な労働環境にもかかわらず外交力と忍耐力を発揮した物語であり、150年後に力強い成果をもたらした物語である。ビショップ博物館(ハワイ州ホノルル)の「元年者」展は、1868年に日本か…
マユミ・ツタカワ • 2018年8月30日
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
中華料理
私の父は、20 世紀の最初の 10 年に東からアルゼンチンにやって来ました。当時、日本は現在のような世界大国として目立った存在ではありませんでした。彼は戦争が絶えない国から逃れてきた貧しい移民であり…
マルタ・マレンコ • 2018年7月2日
en
ja
es
pt
日系人強制収容から75年: 詩の伝統は作者とともにヤキマ渓谷から引き裂かれた
ヤキマのダウンタウン、ファースト ストリートにあるレストラン「玉川亭」に 8 人の日本人男性が集まり、詩を朗読して他の詩を審査しました。1912 年のこの秋の日、ヤキマ アメイカイ (ヤキマ クロー…
タミ―・エアー • 2018年5月3日