ティム・アサメン

(Tim Asamen)

インペリアルバレー開拓者博物館の常設ギャラリー、日系アメリカ人ギャラリーのコーディネーター。祖父母は、現在ティムが暮らすカリフォルニア州ウェストモーランドに鹿児島県上伊集院村から1919年に移住してきた。1994年、ティムは鹿児島ヘリテージ・クラブに入会し、会長(1999-2002)と会報誌編集者(2001-2011)を務めた。

(2013年8月 更新)

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Masani Nagata: The Farmer Who Discovered a Comet

By July of 1931 the melon season was winding down in Southern California’s Imperial Valley. With fewer runners from the local produce companies wiring eastern wholesale markets, the Western Union telegraph office in the farming town of Brawley would reduce its business hours as it did each year when the harvest came to an end. But in the middle of the month a flurry of incoming telegrams caused quite a stir. The wires came from unheard-of sources—astronomical observatories across the country and scientists around the world. Causing even more disbelief was to whom they were intended—a diminutive Issei1 farmer …

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Nikkei Chronicles #9—More Than a Game: Nikkei Sports

George Taniguchi: The Nisei Who Took Horse Racing by Storm - Part 2

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A wall in George’s home is adorned with three large, framed collages, each one highlighting a milestone race in his career: his first win, his biggest monetary win, and one race that made horse racing history. His very first race took place on March 8, 1954, at Bay Meadows in San Mateo. “I was pretty nervous on that. I tried to hide it but my hands were all wet.” His first mount was Radio Message and he came in a respectable third. Three days later the same track was sloppy; that is, wet and muddy. But it …

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Nikkei Chronicles #9—More Than a Game: Nikkei Sports

George Taniguchi: The Nisei Who Took Horse Racing by Storm - Part 1

Strength is not just a tool for winning, it is necessary for survival. Jockey Johnny Longden was once rammed in midrace, knocked from his stirrups and sent flying downward in front of a pack of horses. He was saved by a jockey riding alongside him, George Taniguchi, who was so powerful that he was able to catch Longden with one hand…and righted him in the saddle, also with one hand. Incredibly, Longden won the race. The Daily Racing Form called it “the ultimate impossibility.”

From Laura Hillenbrand’s Seabiscuit: An American Legend (2001)

Not long after Laura Hillenbrand’s book became a …

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一世語彙

私は長年、日系アメリカ人の言葉やフレーズをまとめたいと思っていました。今回の記事で私が最初にリストアップしたその多くは、一世の世代から使われてきた言葉でした。しかしそれは、日系人の大半が使い、または意味を理解しているショウユやウルサイといった、現在日本でも同じ意味で使われている標準語ではありません。私が注目したのは、以下のリストで説明している理由で、日系アメリカ人特有のものとなった言葉や表現です。

ほとんどの読者の皆さんが知っていると思われる言葉を除き、標準語はイタリック表記にしました。ニッケイの言葉はイタリックにせず、さらに私の認識ではニッケイ語には長音符はないので、表記しませんでした(訳注:和訳には適宜長音府を使いました)。ある帰米の女性は私に、長母音と短母音の発音やアメ(雨)とアメ(飴)といった言葉のアクセントの位置から、日本語母語話者と日系人の話す日本語を聞き分けられると話してくれたことがあります。

私が最も興味深く思うのは、日本ではもう使われていない、または定義が異なるニッケイ人の使う日本語です。言語はあらゆる場所で進化しますが、一世の言葉やフレーズには時が経っても変わらないものがあります。ニッケイ人の話す日本語は古臭いと日本人に言われがちなのはそのためです。一番良い例はベンジョ(便所)でしょう。 「ベンジョ」という言葉は「屋外トイレ」のようなものなので、今では日本では使われていません。この言葉は時代遅れなだけでなく、日本では下品だとされていると聞いたことがあります。

さらに、一世の語彙には、他の国の移民や(特徴的な方言を持つ)他県出身者との交流が反映されています。特にハワイではこの傾向は顕著で、異なる文化の言葉が混ざり合い、米国本土にも浸透しました。

このリストには、一世が米国に移住し、初めて見たものに当てはめた日本語の言葉や、日本語のアクセントで発音した英語もいくつか含まれます。日本語と英語を掛け合わせた造語もあります。

日系アメリカ人にとって特別な意味のある言葉やフレーズであっても、それが今の日本でおおよそ同じ意味で使われている場合はリストに入れませんでした。そのような言葉には、ガマン(米国で人種的少数派として生き抜くため、日系アメリカ人に必要だった内面の強靭さや忍耐を意味する)やシカタガナイ(“どうすることもできない”という意味。 日系アメリカ人の中で、第二次世界大戦中の排斥や強制収容体験にほぼ限定して使われている)があります。 

他に思い付く言葉は、コウデン(香典:故人の霊前に供える金品)です。コウデンの慣習は、恐らく日本と全く同じではなく、日系人の間でも異なるでしょう。日系人がよく話題にするのは、切手をオカエシ(香典返しの品物)にする話です。これは南カリフォルニアでは比較的共通の慣習だろうと思います。このような慣習は日本にはなく、ハワイでも切手が香典返しになることはないと聞いています。他の地域ではどうかは分かりません。

それでは、私のリストをご覧ください。長いものではなく、興味深いことにその半分は食に関連しています。ほとんどの単語やフレーズは、私の一世の両親が使っていたっものです。中にはニッケイの友人に聞いた言葉や、読んで知ったフレーズもあります。日系アメリカ人特有の言葉であることを強調するため、日本語で同義語があれば標準語も併記しました。

アブナイクサ
デイヴィッド・マス・マスモト氏は、著書『Country Voices』(1987)で、一世の祖母がセイバンモロコシを「アブナイクサ」と呼んでいたと書いている。農業の世界では、セイバンモロコシは駆除が大変困難な害草に分類されている。アブナイは日本語で「危険」、クサは「草」の意味。 

バカタレ
馬鹿、愚か 標準語:バカヤロウ
バカタレは、広島弁に由来しているという説を読んだことがある。広島は最大のイミンケン(移民を排出した県)で、ハワイなどでは広島出身の日系移民数は他の都道府県出身者数より多い。その結果、中には日系社会全体で使われるようになった広島弁もある。ベン・ハマモト氏による記事『A Look at the Emigration of Identity from Japan to America』でもこの説は支持されている。

バンバイ
私の両親の祖父母(日本の異なる地方から移住し、カリフォルニアの異なる地域に定住した)が、「そのうち」または「いつか」と言うとき、「バンバイ」と言っていた。母と私は、バンバイは日本語か方言か、それとも他の言語に由来するのか疑問に思っていた。英語で「そのうち」を意味する“by and by”に由来するのではないか、というのが母の説だ。

ベンジョ
洗面所、トイレ 標準語:トイレオテアライ(お手洗い) 

チャーメン
炒麺 標準語:サラウドン(皿うどん)

チャイナメシ
中華料理、中華料理店 標準語:チュウカリョウリ(中華料理)

ハダカパック
文字通り「裸パック」、農業用語
第二次世界大戦以前の農家は、通常トマトやメロン、リンゴなどの生鮮食品を装飾ラベル付きの紙で個包装し、木箱に詰めて出荷していた。一世は、紙で包まれていない果物や野菜をハダカパックと呼んだ。ハダカは日本語で「裸」、パックは“pack”を日本語のアクセントで発音。

ハカセ
博士号保有者という意味の昔の言葉 標準語:ハクシ(博士)

ハパ/ハッパ
両親のどちらか一方が日系人、他方が日系以外の子ども。この言葉は、過去には軽蔑語とされていたこともあるが、現在は日系四世の世代から特に親しまれ、日系アメリカ人コミュニティで幅広く使われ、受け入れられている。『Encyclopedia of Japanese American History』(日系アメリカ人に関する百科事典) 更新版(2001) によると、ハワイのピジン語(訳注:英語と現地語の混成語)「白人とのハーフ」を意味するハパハオレに由来するとされる。

ミカン
タンジェリン
一世が特定の意味の日本語を、米国で出合った似た物に当てはめた一例。私の祖母は、すべての類似する柑橘類をミカンと呼んでいた。日本でミカンは英語のマンダリン・オレンジ、またはサツマ・タンジェリン(ウシュウミカン)にあたる特定の品種を指す。タンジェリンは標準語でポンカン

ミシン 
自動車「マシン」を日本語のアクセントで文字通り発音した言葉。20世紀初頭、米国で自動車をマシンと呼ぶことは珍しくなかった。したがって一世は自動車をミシンと呼んだ。日系一世にとって、「オートモービル(自動車)」よりミシンの方がずっと発音しやすかったのです!ちなみに、オートモービルの標準語:クルマ(車)、ジドウシャ(自動車)。現代の日本語で「マシン」は、マシンユ(マシン油)のとおり、「マシン」と発音する。今の日本では、ミシン …

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Japanese American Name Culture - Part 2

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Cultural Heritage and Assimilation

The names that immigrant parents select for their American-born children say something about culture, customs, hopes, and dreams.

In a previous article I wrote about the popularity of the name George for Nisei boys. Most of them were named after George Washington. But some of them were actually named after the reigning sovereign of Great Britain at the time of their birth, such as actor and activist George Takei who was named after King George VI.

Names can reflect a desire among Issei to maintain a cultural connection and sense of …

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