金子 貞子

(かねこ・ていこ)

福島県石川町生まれ。1973年に結婚し、科学者の夫と共にカナダのニューブランズウィックへ移住。1977年に、アメリカのサンディエゴへ移り住む。1985年から2001年にかけて、みなと学園にて教鞭をとり、現在はサンディエゴ南バプテスト日本語教会にて秘書を務めている。

(2016年6月 更新)

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Nikkei Chronicles #5—Nikkei-go: The Language of Family, Community, and Culture

みなと学園と私

私たちは新しい鉄道の開通に喜び、大いに利用しますが、用地の確保から線路の敷設に携わった人々の苦労には思いが至りません。今村氏のブログで、今回、みなと学園創設期のお話を読ませていただき、「みなと学園号」が順調に走り出すまでのご苦労をこれまで知らずに過ごしていたことに気がつきました。 私が初めてみなと学園の存在を知ったのは、学園がスタートして間もないころで、まだ校舎がミラマー・カレッジにありました。夫と私は1977年にケンタッキー州からサンディエゴに越してきました。ミラメサ地区に落ち着いたころ、5軒先に日本人家族(有居武人さん Landscape Architect)が住んでおられ、さっそく親しくお交わりいただきました。その家族の子供たちがみなと学園に通っていて、ある日、両親が何かの都合で送り迎えができず、私が代行したことで、みなと学園を知りました。 1983年、私は代用教員として初めてみなと学園の教壇に立ちました。正式の教員としては85年から5年間務め、その後5年間あいだを空けましたが、96年に学園に戻り、2001年の退職まで主に小学校低学年の担任を務めました。合計12年間の務めでした。  みなと学園の一日は、校庭での朝礼とラジオ体操から始まります。全校生が整列して、私の年代の者にはとても懐かしい「第一体操」をやりました。 1989年1月、新年最初の朝礼は、いつもと様子が違…

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