ディスカバー・ニッケイ

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ラウラ・ホンダ=ハセガワ

(Laura Honda-Hasegawa)

@laurahh

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)


この執筆者によるストーリー

デカセギ・ストーリー
第二十七話(後編) 天からの贈り物

2016年12月26日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

前編を読む >> ひらりちゃんへ こんにちは。徳永涼子です。おばあちゃんです。 突然でびっくりしたでしょう。全然お返事しなくて、本当にごめんなさい。 ひらりちゃんが書いてくれた手紙(全部で22通)は全部読みました。写真もクリスマスカードも、大切にしまってあります。おばあちゃんの宝物になっています。 どうして、今まで一度も返事してくれなかったのかと聞きたいでしょう。 ごめんね。いろいろあったんです。まず、ひらりちゃんのお父さんのレオが事故で亡くなった後、立ち直るの…

デカセギ・ストーリー
第二十七話(前編) 天からの贈りもの

2016年11月17日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

わたしの名前は「ひらり」です。珍しくて、いい名前ですって?みんながそう言ってくれます。なんで「ひらり」って? ママが選んでくれました。日系ブラジル人のママは高校を卒業して、すぐに日本へ出稼ぎに行きました。どうしても大学へ進みたかったので、2年ほど日本で働いて学費を作り、ブラジルで大学へ行くつもりでした。 ブラジルの田舎町で生まれ育ったママにとって、日本の都会の生活は、喜びや期待、不安、そして、戸惑うこともありましたが、人生で一番楽しい時期だったと今でも言っています。 …

デカセギ・ストーリー
第二十六話(後編) 「帰ってきちゃダメ!日本で頑張れ!」

2016年10月27日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

前編を読む >> 残業を終え、ケイは家に戻った。郵便受けを開けてみるとチラシでいっぱいだった。「日本語が読めたらいいんだけどなぁ」と一枚ずつ見ていると、一通の手紙が届いていた。 急いで家に入り、灯りをつけて差出人見ると、母親からだった!「えっ!?カアさんが手紙を?珍しいこともあるもんだ!」と、早速封を切った。 写真が一枚だけだった。「えっ!?サクラの木?カアさんがエリザを抱いて写ってる!ブラジルにサクラなんてあったっけ!?」 写真の裏を見ると「帰ってきちゃダメ!日本…

オハヨウ・ボンディア II
わたしも欲しい、日本の生地!

2016年10月7日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

9月21日、ディスカバー・ニッケイに掲載されたミア・ナカジ・モニエさんのストーリーを読んで、とても感動しました。ミアさんが日本の生地専門店をみつけ、お母様と一緒にそこのソーイング教室に通い、ふたりでいろいろな物を作っていると読んだとたん、私と母の人生が重なりました。「あぁ、私たちにもこのような時があったわ」と、懐かしく振り返りました。 母はサンパウロ州の農家に生まれ育ちました。貧しい生活にも拘わらず、子供の頃からいろいろなアイディアを実行し、毎日を楽しんでいました。例…

デカセギ・ストーリー
第二十六話(前編) 「帰ってきちゃダメ!日本で頑張れ!」

2016年9月22日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

目覚し時計が鳴ると、ユリカはすぐに起きた。毎朝、アラームが鳴る前にすでに目が覚めている。そしてここ一か月、起きるといつも「今日こそ手紙を書こう」と思う。しかし、いまだに手紙を書けずにいる。 側のベッドを見ると、孫のエリザちゃんがすやすやと眠っている。 「今日も発作が起こらないでよかった!」 窓のカーテンを開けると、外はまだ薄暗い。そういえば、1ヵ月前も外は暗かったなと、ふと思う。 ドアを開けると、番犬のリッキが妙に唸っていた。見ると、玄関にイヤリングの片方が落ちてい…

デカセギ・ストーリー
第二十五話(後編) トシアキの初めてのCARNAVAL

2016年3月23日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

前編を読む >> 「日本へ行くことにした!」と、トシアキが言った。隣町で用事を済ませて、戻って来たときのことだった。 突然の報告に皆は驚いた。「その気があったなら、なぜ僕と一緒に行かなかったの?あのころが一番景気がよかったのに!」と、あきれたように弟のサトシが言った。 「いいじゃん。お兄さんはまだ40代だし、大の働き者だから大丈夫だよ」と、義理の妹は真っ先に応援してくれた。 リビングで孫たちとテレビを見ていた母親はうれしそうに、まるで待っていたかのように、息子の言葉…

デカセギ・ストーリー
第二十五話(前編) トシアキの初めてのCARNAVAL

2016年2月3日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

トシアキは内気な子供だった。近所の子たちが原っぱで、凧揚げをしたり、ボールで遊んでいても一緒に遊ばず、家でおじいちゃんが作る竹細工を手伝っていた。 中学3年生のとき、父親が病気で亡くなり、長男だったトシアキは祖父の代から続いている家業の八百屋を手伝うことに決めた。学校は午前中だったので、授業が終った後夜遅くまで働いた。高校は夜学に進学した。夜明けから午後6時まで、汗まみれで働き、それでも授業には欠かさず出席した。 金曜日は、同級生の半分以上が授業をさぼって、学校の周辺に…

日本を恋しく思い出させるお正月

2015年12月31日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

年末が迫ったこの時期、サンパウロの東洋街がにぎわいます。日本食品店のショー・ウインドーの張り紙には「餅とおそなえの予約受付中」と書いてあります。 普段、日本の習慣に従うことがない日系人でも、お正月には「餅」が欠かせません。餅を焼いて、しょうゆと砂糖を付けて食べるのが一般的だと思います。もうひとつはお雑煮です。 わたしが初めて日本で過ごしたお正月は42年前のことでした。2人の日系ブラジル人留学生が家に遊びに来て、4日間ほど一緒に過ごしました。正月は、お店のほとんどが閉まっ…

デカセギ・ストーリー
第二十四話 日本人になりたかった少女の日記~その6

2015年12月23日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

2011年11月12日 愛しきディアーリョ。はじめまして。マリナです。ジェシカちゃんが書いたこの日記はとてもおもしろくて、全部読みました。そして、読んでいるうちに、なるほど、ブラジルってこういう所なんだ、と分かりました。 ジェシカちゃんとは日本のブラジル人学校でいつも一緒で、とても楽しかったです。でも、お父さんの仕事が変わったため、わたしは引越ししなければなりませんでした。そして、わたしは日本の学校に転校しました。お父さんとお母さんはわたしが日本の学校で勉強することを希…

デカセギ・ストーリー
第二十四話 日本人になりたかった少女の日記~その5

2015年9月17日 • ラウラ・ホンダ=ハセガワ

その4を読む >> 2011年7月30日 愛しきディアーリョ。ただいま! サンパウロで過ごした冬休みは、めっちゃ楽しかったけど、こっちに戻る2日前にマリナちゃんのことを知って、とても心配になったの。だって、3年前までは、日本のブラジル人学校で一緒だったマリナちゃんが、今年ブラジルに戻って、ここの生活に慣れなくて、学校に行ってないんだって。なんで?信じられない!わたしよりも頭がいいし、日本語はぺらぺらだし、かわいいし。 そして、バチャンにマリナちゃんのことを話すと「そ…

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