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ブラジルに残る大正デモクラシーの余韻=日系女性アーティスト3人の物語 — その2

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ブラジルの大地を感じて作品を作る

章子さんはサントス港に降り立ったとき、「母親に抱え上げられたように感じた。大地の尊さと言うのかしら、大きなものに抱かれるような感覚が嬉しくて、嬉しくて」とつい最近のことであるかのように思い出す。その〝大地〟の欠片を使って陶芸作品を作ることは、その感覚を形にすることでもあった。

「作品を作るときは、いつも大地の力を感じていた。ブラジルにはそれがある。それを感じて、作品に込めていたの」

コチアに登り窯を建設し、手動旋盤、大地の一部である粘土、木の葉から作った釉薬を武器にして当地の芸術界に影響を与える作品群を発表した。実用とはかけ離れた球形、円筒形、卵形などの形状をしており、ブラジルの大地という母の胎内に宿る感覚を表現したかのような現代美術作品だと当地では見なされている。

「私はキレイな焼き物は作りたくなかった。外見の美しさではなく深いものを内包している作品を作りたかった。ずっと作り続けて90歳になったころ、やっとそれが見つかったと確信した。だから、もう辞めなくてはと思った。これから先は空に向かって行かなくては、つまり神様の元に向かっていく。神様に呼ばれてもいいと思った。私は仏教でもキリスト教でもない。心の中で独自の神様との関係を作った。これは宗教ではないの」。

そんな心境に至った後、脳卒中に襲われた。

弓場勇は「原始林」を見て、そこに移民文化を創造するという興奮に包まれ、新しい農業コミュニティを作った。章子さんは「ブラジルの大地に特別な力を感じ、それを陶芸作品に込めた」。たしかにこの場所、この土地から強烈なインスピレーションを受け、方や共同農場という形にし、もう一人は陶芸という作品に昇華させた。勝重さんが言うとおり、似た部分があるかもしれない。


ユバに魅了されたSPFWデザイナー

フェルナンダ・ヤマモトさん(提供写真)

今イベントに会場を提供したデザイナー、フェルナンダ・ヤマモトさん(44、4世、サンパウロ市出身)にユバ農場との縁を尋ねると、農場に20年ほど住んでいたシルビア・オオサカさんと知り合いになり、15年ほど前に誘われて農場で数日過ごしたことだという。

「とても興味深い空間。もともと日本の着物や絞り染めの技法などに興味を持ち、自分のファションに応用する研究をしていたから、何か生きたサンプルを見るようで面白かった」と振り返る。

フェルナンダさんの曾祖父母は広島県出身で、1920年頃に移住したと言う。マリリアやバストスなどパウリスタ線沿いに入植して農業に従事し、親は戦後にサンパウロへ行きフェイランテを生業にしていた。そこからサンパウロ・ファッション・ウイークで活躍する有名デザイナーが生まれた。

大学では経営学を専攻したが、縫製工場で働いているうちにファッションに興味が湧き、NYパーソンズ美術大学で学び直した。「山本耀司、川久保玲、三宅一生とかに憧れて影響を受けた」ことからデザイナーの道に入り、現在の店(Rua Aspicuelta, 441)を15年前に設立した。

日本には5回行った。うち2回はジャパン・ファッション・ウィーク(JFW)関係で、最後の2010年10年にはJFW新人発掘プロジェクト〝シンマイ〟デザイナー3人の一人に選ばれた。それで2011年3月に新進デザイナーとして第12回JFWでショーを披露するはずだった。「でも東日本大震災が起きてショーが中止になってしまったの。本当に残念。今でも日本でショーをするのが夢なのよ」と残念がる。

フェルナンダさんはサンパウロ・ファッション・ウィーク(SPFW)で2回もユバ農場をテーマにコレクションを行うなど、同農場と親しい関係にある。「日本食は大好きだし、日本文化は私のデザインのインスピレーションの源泉ね」と力説した。


芸術にまつわる3人の女性の物語

当日、40年来の勝重さんの友人、著述家・研究者のジュリア・パスカリさんも会場を訪れ、「勝重は大学など出ていないが、本物の人生の哲学者だ。農業と芸術を共存させるという生活実験を重ね、その成果を本として著わしている」と挨拶して賞賛した。

ジュリア・パスカリさん(左)

パスカリさんは『輝かしき開拓者』の前書きも寄せており、そこには勝重さんのことをこう記す。

「全てが使い捨て、スピード至上主義的な現代では、伝統的な知識や生き方は息をひそめるようになってしまった。そんなはかない時代において、この本からは伝統の賢明で力強い声がよく聞こえる。カツエ・ユバは歌うこと、料理すること、絵を描いたり、洋服を作ったりする芸術家である。彼女はその多彩な表現力を使って、夢と希望と光をもってブラジルにやってきた日本人移民たちの知識や生活のさまを、絵画や文章にしてきた」とブラジル人の目から分析した。

勝重さんは「父の言うことと章子さんには共通点がある。フェルナンダさんとも通じるものがある。だから、私が書いた章子さんの本の刊行イベントを、この店でやることは意味があるの。私たちがこうやって活躍できるのは、日本移民という土台があってこそ。そこには日系人が愛をもって生きてきた事実がある。それを世界の人に知って欲しい。それが神の計画なの」と強調した。

共同農場という独特の取り組みの中で生まれ育った弓場勝重、日本を飛び出して自分の陶芸を南米で作り上げた鈴木章子、SPFWで活躍する新進気鋭のフェルナンダ・ヤマモト、3人の強烈な女性が揃ったから、このような不思議な場が生まれた。これは古くて新しい、伝統的だが前衛的でもある日系女性のブラジル社会貢献を象徴するようなイベントだと感じた。

 

*本稿は、『ブラジル日報』(2023年8月22日)からの転載です。

 

© 2023 Masayuki Fukasawa

アーティスト 作家 ブラジル セラミック ファッション(Fashion) ファッション フェルナンダ・ヤマモト 弓場勝重 サンパウロ サンパウロ・ファッションウィーク 鈴木章子 大正デモクラシー 大正時代(1912〜1926年) 作家(writers)
執筆者について

1965年11月22日、静岡県沼津市生まれ。92年にブラジル初渡航し、邦字紙パウリスタ新聞で研修記者。95年にいったん帰国し、群馬県大泉町でブラジル人と共に工場労働を体験、その知見をまとめたものが99年の潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレル・ワールド』(潮出版)として出版。99年から再渡伯。01年からニッケイ新聞に勤務、04年から編集長。2022年からブラジル日報編集長。

(2022年1月 更新)

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