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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/8/31/kase-utako-1/

ソフトウェアエンジニア・加瀨詩子さん ー 女性エンジニアのロールモデルでありたい — その1

ソフトウェアエンジニア・加瀨詩子さん。母校のワシントン大学シアトルキャンパスにて。構内の桜はシアトルの中でも詩子さんのお気に入りの景色のひとつ。

ソフトウェアエンジニアとして多忙を極めながらも、次世代のエンジニアの芽を育てるために尽力する加瀨詩子(かせ・うたこ)さん。就活までの道のりから現在の職場での仕事ぶり、そして将来のエンジニアたちへの思いまで、たっぷりと話を聞かせてもらいました。

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プログラミングに夢中になった高校時代

3歳の頃七五三に向けて晴れ着でおめかし両親と共に

幼い頃からテレビのリモコンやラジオのボタンを押すことが大好きで、小学生でパソコンも難なく操っていたと話す詩子さん。インターナショナルスクールでの高校時代、ITの授業でプログラミングと出合ったのが人生の転機と話す。

「CSSやHTMLを学習し、今まで見るだけだったウェブサイトを自在にコントロールできることに驚きました」

詩子さんが「自分もIT業界でエンジニアとして働きたい」と決心することになった出来事がある。ITの授業の一環で高校のOBに連れていってもらった、グーグル・ジャパンのオフィスツアーだ。オフィスに足を踏み入れた瞬間、今まで漠然と思い描いていた仕事像が変わったと言う。

「それまでは仕事をすることに対して、つまらない・つらい・苦しいといったネガティブなイメージがあったんです。でも、グーグル・ジャパンのオフィスで働く人たちは皆、キラキラして見えました。自分もこんなところで働きたいなぁ、と憧れましたね」

当時のグーグル・ジャパンのオフィスは、カフェテリアで朝・昼・晩の3食が無料、自動販売機の利用も全て無料で、ゲーム機などの娯楽設備も整っていた。高校生の詩子さんにとっては、まさに夢のような職場。また、女性エンジニアの数が少ないと聞き、「私にも輝けるチャンスがめぐってくるかもしれない」と直感した。

インターナショナルスクールに通った高校時代のITの授業でクラスメートとこの時の経験が詩子さんをエンジニアの世界に導いた

中学時代に留学経験もあったことから、アメリカの大学進学を視野に受験を準備。コンピューターサイエンスに強いワシントン大学を第1志望とし、無事合格を勝ち取った。ここから、詩子さんはエンジニアへの道を本格的に歩み始めることになる。

順風満帆ではなかったエンジニアへの道

ワシントン大学時代は苦労の連続だった。3年次に上がる際の希望専攻の合否は、1・2年次の成績や課外活動で決まる。詩子さんの念願だったコンピューターサイエンス専攻は、ワシントン大学で最高難度と言えるほどの狭き門だ。

成績から考えて厳しいと判断した詩子さんは、第2希望の情報学専攻に申し込んだが、これまたコンピューターサイエンスに次ぐ人気の専攻ということもあり、1度目も2度目も不合格。周りの同級生たちが次々と希望専攻に受かっている中で、自分はスタートラインにすら立てていないと落ち込んだ。

苦難を乗り越えワシントン大学を卒業大学マスコットのハスキー像と

ここからのオプションに2通りあった。1つ目は、他大学に編入して、コンピューターサイエンスを専攻すること。だが、大学間で卒業に必要な必修クラスが異なったり、単位の移行を認めてもらえなかったりするため、卒業に1・2年余計にかかってしまうことが多い。2つ目は、ワシントン大学で別の専攻に鞍替えし、ストレートで卒業すること。詩子さんは悩んだ末、結局は親の経済的負担を考慮し、ワシントン大学で地理情報学専攻へ進むことにした。

ただネックなのは、地理情報学が学位上、文系扱いとなること。エンジニアを目指す詩子さんにとって、インターンシップ探しや就活には不利に働く。実際、たくさんのインターン先に出願したものの、結果は全て不合格。

「うちのネット環境が心配になるくらい、全く返信がなくて(笑)。ことごとく全部落ちましたね。エンジニアになる道は諦めるべきなのかなと、大きな挫折感を味わいました」

学びたいことを学べないもどかしさの中、詩子さんはこの状況を打開すべく勝負に出る。ワシントン大学ボセルキャンパスでコンピューターサイエンスを副専攻にすることを選択したのだ。それは、詩子さんが通っていたシアトルキャンパスにはない履修プログラムだった。バスで片道1時間半かかるボセルキャンパスに週2回のペースで通う必要があり、ふたつのキャンパスを行き来する過酷な学生生活が始まった。

大学時代に企画運営したGISハッカソンにて

それでもやはり、インターンシップの出願は通らず、何社も落ち続ける毎日。ところが、アマゾンに勤めていた知人に同社でのインターンシップを勧められると、風向きが変わる。「アマゾンは大企業なので無理だろうという思い込みもあり、実はそれまで出願したことはなかったんです」。知人は「最悪落ちるだけで、ほかに何も影響はないでしょ」と言い、背中を押してくれた。

そして何も期待せず、試しに出願してみると、なんと夏季インターンシップに見事合格! 同社では内定直結型の制度だったこともあり、インターンとしての数カ月にわたる努力が認められ、新卒でのアマゾン内定を獲得した。専攻での苦労はあったが、ここでようやく努力が実を結ぶ結果に。

「1年前に諦めかけていたエンジニアへの道がいきなりひらけて、驚きと喜びの連続でした」

スポーツは5歳から始めた卓球を今も続けている。2019年には全米大学卓球協会(National Collegiate table Tennis Association ― NCTTA)による大会に出場。

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*本稿は、「Soy Source」(2023年4月11日)からの転載です。

 

© 2023 Jaejun Jeon

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執筆者について

2018年5月よりシアトル近郊在住。週の半分は製薬会社でフルタイム勤務。趣味はテレビでのスポーツ観戦とハイキング、ジョギング。最近はボルダリングにハマっている。

(2023年8月 更新)

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