寿司シェフいろいろ
在米ライターとして多くの寿司シェフを取材してきた。日本で修行、または実績を積んでからアメリカで寿司を握っている人、アメリカで初めて寿司シェフになった人、江戸前の伝統的なスタイルにこだわっている人、アメリカ人が好むロール寿司などの変化球型の寿司など顧客のリクエストに応じて伝統に固執することなく柔軟な姿勢で寿司を握る人。彼らの経験や寿司に対するポリシーは実に幅広い。もしかしたら、伝統にこだわるタイプの人は、寿司シェフではなく寿司職人または板前と呼ぶべきなのかもしれない。
私は個人的には伝統的な鮨(魚を使った美味い寿司を表現する場合に用いる漢字)が好きだ。カリフォルニアロールなどの変化球は積極的には食べることはない。しかし、別に自分が伝統的なタイプを好んで食べるからと言って、アメリカ人の多数派が好むロール寿司を否定する気は一切ない。
変化球型寿司店でバイト
さて、話は大学生の娘ニナに移る。夏休みを迎えた彼女は自宅から徒歩圏内のショップやカフェ、レストランでバイト探しをして、一番先に面接が入ってしかもその場で採用してくれたYキッチンというテイクアウト専門の寿司屋で働き始めた。Yキッチンは、隣の市にも店舗があり繁盛店。この国ではよくあることだが、日本人ではなく韓国人経営のようだ。
そして、バイト初日までにメニューを全部覚えてくるように店長に言われたニナが、フラッシュカードに書いた60種類の寿司メニューを「テストして」と渡してきた時にちょっと驚いた。というのも、その寿司のほとんどにソースが添えられていたからだ。つまり、明らかにこの店は伝統タイプではなく変化球型ということだ。それは今更驚くことではなく、アメリカでの人気店はほとんど変化球型と言えるのかもしれない。
さらに、店長から「店内で転ばないように滑り止め付きの靴を履いてくるように」と指示を受け、ニナは以前からお世話になっている方にいただいたギフト券でその靴を買った。私はその方に「ニナが寿司屋でバイトを始めるために、いただいたギフト券で靴を買いました」とお礼と報告のメールを送った。すると、「ニナちゃんはシャイな性格なのでサービス業が務まるか心配です。どこの寿司屋ですか?」と書かれた返事が届いた。実はその方のご主人は日本でも経験がある伝統タイプの寿司職人。きっと頭の中で「寿司屋」と聞いて、「日本的な寿司レストラン」を思い描いていたに違いない。
日本人シェフに敬意
ニナの初日は何と「父の日」だった。ただでさえ人気店なのに、その日はパーティートレイのオーダーが次々に入り、ニナはキッチンで作られる寿司をパッキングすることに追われ、帰宅した時にはぐったりしていた。
しかし、忙しかったと同時に彼女は「楽しかった」と口にした。その理由は一緒に働く店のスタッフが皆親切で、家族的だかららしい。「キッチンには日本人のYさんというシェフがいる。皆、Yさんにだけは『さん付け』なの。店長もYさんのことをすごくレスペクトしているのがよく分かる」とニナ。
その初日からすでに1カ月近くが経ち、今では電話で注文を取ったり、レジを打ったりという仕事も担当するようになったらしい。好奇心が抑えられない母親(私のこと)は、「で、今日はどんなことがあったの?」とニナがバイトから帰ってくると質問するのが日課となった。
その話を聞く限り、店長のJは30代後半くらいの男性。日本のポップカルチャーが大好きで、日本にも行ったことがあるらしい。彼は韓国生まれのようだ。また、一緒に組むことが多いTは20代半ばの男性でやはり韓国系。「なぜカレーハウス(ハウス食品が経営していた日本のカレー専門店)はなくなってしまったんだろう?大好きだったのに。子どもの頃の誕生パーティーはカレーハウスで開いていたんだ」と話していたそうだから、彼はこの国で生まれ育った韓国系アメリカ人である可能性が高い。
かと思えば、バイトとしてはニナより先輩の白人の女の子のSは、ニナが2年前に卒業した学校を今年出たばかりのハイスクールの後輩。さらに、キッチンスタッフの韓国系らしいYは、ニナと目が合うと「ご飯食べた?お腹空いてない?」と聞いてくるそうだ。それはまさに、私がよく見る韓国ドラマの中の決まり文句ではないか。
伝統重視と先入観
こうして私は一度も会ったことがないにもかかわらず、ニナのバイト先の仲間に親しみを感じるようになってしまった。そして、その中心には日本発祥の寿司がある。国籍、民族、年齢関係なく、寿司を愛するYキッチンの仲間が、ニナを介して日本人に親しい感情を抱くようになってくれればこれほどうれしいことはない。
そして、ある時、私はYキッチンのソース付きのカリフォルニア天ぷらロールを、勇気を出して食べてみた。想像以上に美味しかった。「伝統は重んじられるべきだ。しかし、一方で自分にとって未知の存在だからといって先入観を持つべきではない」と改めて思ったのだった。
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このエッセイは、シリーズ「いただきます3! ニッケイの食と家族、そしてコミュニティ」の編集委員による日本語のお気に入り作品に選ばれました。こちらが編集委員のコメントです。
深沢正雪さんからのコメント
以前、日本から来たばかりの職人に、ブラジルではやりの〝変化球〟寿司についてコメントを求めたところ、「あれは日本料理ではなく、環太平洋料理ですね」とバッサリ切られた。だから、まるで別の国とは思えない体験談だと感じる。元祖日本にはないタイプの寿司店Temakeria(手巻き専門店)まであり、それをブラジル人がイタリアに進出させたと報道された。
ブラジル近海には寒流が流れておらず、脂ののった寿司ネタがほとんどないため、クリームチーズやソースなどで補強しないと旨くないという事情もある。日本と同じ食材が手に入らない環境で作るわけだから、当然、現地適応させるしかない。
このエピソードが俊逸なのは、現地の日本食事情だけでなく、世代が新しくなるほど文化が混ざり、旧世代も徐々にそれを容認する心境に変化するという移住者心理のパターンが表現されている点ではないか。
日本料理が外国で変化するのと同様、環境が違えば人も変わる。かと思えば、日本から離れて20年以上も経ち、頻繁に帰れない場所に住んでいると、むしろ母国の変化の急激さに戸惑うことも多い。取り残された気分になる。変わるのは、移住者の側ばかりではないと痛感する今日この頃だ。