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1989年渡米、日本の書道と心をアメリカに広める藤井良泰さん

基礎の積み重ね

ワシントン州シアトルを中心に、ポートランド、ロサンゼルス、東京にも教室を置き、書道を教える藤井良泰さんが渡米したのは1989年だった。当時の目的は、ワシントン大学とミシガン大学で教えることになった師匠、明石春浦さんの「鞄持ち」だったと振り返る。91年には、大学だけでなくアメリカにも常設の教室を開いてほしいとのリクエストに応える形でシアトルに明石書道教室を開設、そこを藤井さんが任されることになった。以来30年、アメリカの地で指導した生徒の数は数千人に及ぶ。

しかし、失敗も経験した。最初にワシントン大学のエクステンションコースの書道クラスを担当した時のこと。いかに学生たちを飽きさせないかに腐心したあまり、「受けを狙う」教え方となった結果、30人いた学生が10回の講義で最後は12人にまで減ってしまったのだそうだ。

「まだ当時、27歳だった私は若かったこともあって、新しいことをやれば受け入れてもらえるだろうと考えていました。しかし、基礎の積み重ねが必要なのだと気付き、次のクオーターでは方針を転換しました。最初に失敗したことが、その後の指導において非常に役立ったと思っています」。

それから、アメリカで書道を広める上で基本に忠実であることに加えて、藤井さんは何よりも「日本の正しい書道を教える」ことを念頭に置いている。

「30年以上前、アメリカ人の書道を見た時に、基本から離れてしまい、まるでショーのようになっているという印象を抱いたことがあります。例えて言えばクラシックの基礎を勉強しないで演奏をしている音楽家のようなものです。ただただ、自分の感性を作品にぶつけることを重視するあまり、純粋な日本の文化とは遠い存在になっていました。私は指導者として、(書の)根本となる漢字をしっかりと教えていきたいと思いました」。

デモンストレーション。

95年、師匠の明石さんが日本で逝去した。藤井さんには日本に引き揚げるという選択肢もあったが、腰を落ち着けてアメリカで書道を教えていくため、グリーンカードを申請した。

「私の仕事は日本文化に携わるという特性がありますから、その枠で申請し、取得しました。ロシア出身のバレリーナと同じ申請枠です(笑)」。

引き揚げはしなかったが、東京にも生徒を抱える関係で、パンデミックの前まではひと月のうちの1週間を東京で、そして残りをシアトルでという生活を長らく送ってきた。また、対面式がかなわなかったパンデミック下での指導について聞くと次のように答えてくれた。

「(生徒に)動画を送ったり、生徒さんが書いているところを、ビデオチャットを通じてやりとりしたりしました。作品は好きな時間にメールしていいと伝えていたために、夜中に送られてきたりするので、その度に(告知音で)目を覚ましたりしました(笑)。昔のように離れていては絶対に指導が成り立たなかった時代とは違い、今はzoomやFaceTimeといったテクノロジーのおかげでやりとりができます。その結果、パンデミックの間に教室に通えないことから離れていく生徒の数を最小限に止めることができたと思っています」。

日本に新風を吹き込みたい

こうして過去30年以上にわたり、日米を往復しながら書道を広めてきた藤井さんに、それぞれの国の良いところを聞いた。

「書道に関してですが、アメリカの良いところは、生徒に日本のように漢字などに対する先入観がないので、ゼロから出発することができるということです。思い込みがない分、飲み込みが早いです。そして、アメリカの生徒さんを見て素晴らしいと思うのは、他の生徒の成果を心の底から一緒に喜ぶことができることですね。逆に、日本に対しては、アメリカの良い点を日本にも導入しようと提案すると『それはアメリカの考え方で日本では通用しない』と随分言われてきました。ですから、自分が50歳を過ぎて、(毎日)書道展の審査員を務めさせていただけるようになってから、日本でも少しずつ発言する機会が増えたように感じています。日本では改革することが悪いことのように思われることがあり、日本に対しては、その点であまり良い印象を抱くことができません」。

しかし、もうすぐ60代を迎える藤井さんは、パンデミックが収束したら以前よりも頻繁に日本に足を運び、日本の書道界にも新しい風を吹き込むべく努めたいという意気込みを語っている。

生徒たちとの集合写真。

次にシアトルの日系社会について印象を聞いた。

「30年前は、まだ一世の方々が存命でしたし、多くの二世の方が社会で活躍されていました。さらにアメリカ人との結婚で渡米された日本人女性が大勢いました。今みたいに日本との行き来が簡単ではなかった分、お互いが協力し合っていました。私も当時は諸先輩方にアメリカ生活の様々なことを教えていただきました。そう言えば、我が家のドライブウェイに生えていた草を玄関先に置かれたことがありました。抜かれて放置された草を見た時は嫌な気持ちでしたが、それを置いた日系人の方は『家の前は綺麗にしなさい』ということを私たちに教えたかったのだということが後で分かりました」。

将来的にはアメリカ市民権を取得する計画なのか、最後に聞いた。

「2人の子どもたちはアメリカ生まれで、アメリカ社会で生きています。私たち夫婦は、アメリカのパスポートを取ったとしても日本人には変わりないとは思いながらも、やはり(日本の)国籍にしがみついて生きていきます。日本から来た私たちがアメリカで日本の書道を教え続けるということが大事なのだと思います。そして、書道を通じて日本の心を伝えていきます。例えば、私は教室を出る時に、教室に向かってお辞儀をします。それを生徒たちは真似します。彼らはまた、教室に上がる時は靴を綺麗に揃えます。そういう礼に始まる心をアメリカ人の生徒さんたちが美しいと思ってくれることを誇りに思っています」。

書道を教えるだけではない。日本の心もアメリカに伝え、日本には新しい風を吹き込んでいく。藤井さんの益々の活躍に期待したい。

 

藤井さんが運営する明藤書道会のウェブサイト:https://meitokai.net

 

© 2021 Keiko Fukuda

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