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1988年渡米、伝説的ゲームクリエイター、スコット津村さん

最初は1年の滞米予定

スコット津村さん

ある雑誌の企画でアクティブなシニア世代を探していた時に、「僕の知り合いに、もうこれ以上ないと言うくらいアクティブなシニアで、尊敬している方がいます」とシアトル在住の友人に紹介されたのが、スコット津村さんだった。ゲームには詳しくない私はスコットさんのことを知らなかったが、その名前で検索すると彼が1980年代に一世を風靡したゲーム『スペランカー』の開発に携わった、ゲーム界では伝説のクリエイターだと呼ばれている人物だということが分かった。聞けば79歳の現在も現役で、今年の秋、Intellivision Entertainmentという会社から新発売されるビデオゲーム機「Amico」のプロジェクトに、アドバイザーとして関わっているということだ。

私の友人同様、ワシントン州シアトル在住。その名前から日系アメリカ人かと思ってしまうが、実際は88年、46歳の時に渡米してきた名古屋生まれの日本人だ。しかも、渡米した時点ではアメリカでの滞在は1年だけの予定だった。家族も日本に残しての単身赴任だったという。目的は、前出の『スペランカー』、さらに同じくスコットさんが携わった『ロードランナー』のライセンスを持っていた米企業の要請で、サンフランシスコに合弁事業を立ち上げるためだった。

しかし、当初の滞在予定の1年が終わった段階で、スコットさんはアメリカでの仕事に手応えを感じていた。そして、さらにアメリカ市場で本格的に挑戦してみたいという気持ちがしっかりと芽生えていたと振り返る。

「それで日本の家族に、アメリカってこんな国だっていうことと、君たちにもアメリカで生活してみることが良いことなんじゃないか、って手紙で書いたわけです。そうしたら家族全員がアメリカにやって来ることになりました。日本国内でも、僕は転職などで12回引っ越しているんですよ。だから、たとえ引っ越す場所がアメリカであっても、僕の家族にとってはそんなに抵抗がなかったんだろうなって思いますね」。

「魂は日本人のまま」

転職を理由に12回の引越しと聞いて驚いたが、スコットさんは大学卒業後に大手旅行代理店への就職の内定を断り、バーテンダー、各種セールス、土木、サービス業と、全くの別職種を転々と渡り歩いたのだそうだ。そして、自分が本当にやりたいことを探し続けて、30代で出会ったのがゲームの開発だった。従来の終身雇用制が壊れ始めているとは言え、日本では1、2回の転職はあるにしても学校を卒業後は同業種の会社で退職まで勤め上げることが一般的だ。その日本の固定概念を思えば、様々な職に就きながら、自分探しを追求し続けたスコットさんの思考と行動がいかに柔軟であったかが分かる。しかも今から50年以上前の話なのだ。

そんな自由人、スコットさんにとって、アメリカという土地は肌に合っていたのかもしれない。妻と一緒に日本からアメリカにやって来た子どもは3人。長女はすでに短大を出て社会人、次女が高校生、一番下の長男も中学生になっていた。シアトルに拠点を定め、96年にはコンサルティング会社のTozai, Inc.を起業、同時に開発会社のBig Bang Softwareも立ち上げた。その後、アメリカで社長やCEOを務めた会社の数は8社にのぼる。ゲーム業界での実績が認められ、責任が重くなると同時にスコットさんは次の行動に出た。それは2005年のアメリカ市民権取得だ。

「市民権を取る前は、アメリカ人の仕事仲間と話している時に『いつかは日本に帰るんだろう』とよく聞かれました。それはつまり、『失敗しても帰る所がある』という意味で、本気じゃないと思われていたわけです。それがとても悔しかったんです。それに本当の仲間だと思われていないことが寂しくもありました。それから、もし、僕が市民権を取らない状態で飲酒運転をやったり、または犯罪に巻き込まれてしまったりしたら、最悪は日本に強制送還されてしまう可能性だってあります。そうなったら、携わっているプロジェクトを途中で投げ出してしまうことになり、仲間に大きな迷惑をかけてしまいます。だから、自分はアメリカ人になろう、とそう覚悟を決めたのです」。

さらに、スコットさんらしいユニークな考えだと思わされたのは次の理由だ。「グリーンカードのままだと、アメリカの空気を吸っていても借りている空気のような気がしてなんだか落ち着かないでしょう?」。

日本のパスポートを捨て、アメリカ人になったスコットさんだが後悔はないと言い切る。「血は日本人のままですし、魂も日本人です。だから全く問題ないです(笑)」。

「人との比較は無意味」

 最後に、スコットさんを私に紹介してくれた友人、鷹松弘章さんが運営するYouTube動画にスコットさんが出演した時の印象的な言葉を披露したい。

「(人は)自分と他人を比較します。彼がこれだけのことして給料をもらっている、自分はもっとしているのになぜ給料が低いだろうなどと比較してしまうんですよね。人生はすごく不公平なものです。運がいい人も悪い人もいます。だから自分だけがなぜこうなんだろうという考えが一番あさましいし、情けないし、不幸な生き方ですよね。他人が何であろうが、自分の世界があるわけですから、自分の生活圏の中で幸せを感じるかが大事。比較というのはナンセンスですね」。

スコット津村さんが登場する、鷹松弘章さんとの対談動画

深く共感させられたこのメッセージには、多様性の容認、自主自立の基本的な精神が示されている。46歳でアメリカに渡ったスコットさんだが、それは決して遅すぎるタイミングではなかったということだろう。なぜなら人との比較など意味はないのだから。

 

© 2021 Keiko Fukuda

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