1897年5月10日、最初の日本人移民がチアパス州でコーヒー農園を始めるためにメキシコに到着しました。この試みは失敗に終わりましたが、この移民達の多くは地元の女性と結婚し、メキシコへの日本人移民の礎を築きました。
この初期の移民達と異なり、1901年から1907年にかけてメキシコ北部から中部にやってきた日本人は主にデカセギ労働者でした。彼らは移民会社を通じて鉱山、鉄道、農場などと契約しました。この労働者たちの大部分はメキシコを足場にして米国へ再移民しました。これは1907年3月に米国が日本人のメキシコからの流入を禁止した後でもやむことはありませんでした。
1910年代には北部メキシコとメキシコ市において、安定した日系コミュニティが発達しました。
第2次大戦:強制転住
しかし、太平洋戦争が始まると、1942年にバハカリフォルニア州に住む日本人は全員メキシコ市かグアダラハラへ移るよう命令が下されました。住み慣れた家を離れ、とまどいながら、移住者たちはメキシコ市共栄会の援助で家や仕事を見つけました。
農業から都会の小規模経営へ
戦後メキシコの日系コミュニティで大きな変化が起こりました。日系人の大半はメキシコ市とグアダラハラに集中したままで、彼等は職業を農業から都会の小規模経営へと切り替えました。メキシコが彼等の永住地になりました。
戦後の日系コミュニティは派閥争いや分裂を起こしましたが、1950年代半ば以降は日墨協会が主要な役割を演じ、コミュニティをまとめました。その結果日墨会館が建設され、後には新たに二世の指導の下、メキシコ・日本文化協会が生まれました。今日では若い日系メキシコ人が、メキシコの多文化社会でより重要な役目を負うと同時に、日本移民の過去の遺産を継承しさらに発展させ続けています。
出典:
キクムラ=ヤノ、アケミ編 『アメリカ大陸日系人百科事典ー写真と絵で見る日系人の歴史』 明石書店、2002年。
* 共同制作: 日墨協会
© 2002 Japanese American National Museum