https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1106/
ハワイのビジネスマン、開発者
(英語) 僕は、いずれ自分は不動産開発や建設業界に進むだろうと思っていました。昔からこの仕事に興味があったし、小さい頃から祖父と父の働く姿を見てきました。僕の最初の仕事は、モアナホテルの最後の大規模改修工事で現場作業員として働いたことでした。僕は常にこの業界の近くにいて、いつも魅了されていました。
日付: 2006年6月1日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
バート・A・コバヤシ・ジュニア氏(B.J.)が初めて建設業界で働いたのは、彼の祖父が起業し、父が経営するハワイ企業、アルバート・C・コバヤシ株式会社でした。1993年にジョージタウン大学を卒業し、ダニエル・イノウエ議員のワシントンD.C.オフィスで働いた際に、同郷の民主党議員であるイノウエ氏に、法律を学ぶよう勧められました。ジョージタウン大学で3年間不動産と企業法を学んだ後、父親の会社を継ぎ、カポレイ・シビック・センターの開発を手掛けました。また、兄妹やビジネスパートナーと共にコバヤシ・グループを設立し、コンドミニアムや高級ゴルフリゾートの開発に乗り出しました。コバヤシ氏は、ビジネス以外にも、ハワイの自然環境保護推進のための活動へも熱心に取り組んでいます。また、小林氏は、パートナーと共にギフト・ファンデーション・オブ・ハワイという基金を立ち上げた他、世界的な自然保護団体であるザ・ネイチャー・コンサーバンシーに参加するなど、地域活動にも積極的に参加しています。(2007年6月) ※パシフィック・ビジネス・ニュース紙より抜粋
ビジネスでの苦い経験
一世実業家(1900-2005)
東京の会社が焼失
戦後に始めた輸入業(英語)
二世ビジネスマン。Made in Oregonの店をオープン。(1921年生)
父による農業経営の成功(英語)
1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)
アメリカ人と日本人の連絡役(英語)
19歳で家族経営に携わる(英語)
Kobayashi Group LLCの.創設者 (1944年生)
仕事における体・心・精神の倫理(英語)
見よう見真似で物にした仕事
JACTOグループ創設者 (1911-2010)
ブラジル社会に恩返し-不足のテクニコを育成
天野芳太郎の日本でのビジネス
天野博物館館長 (1929年生)
天野芳太郎のマグロ漁船
天野芳太郎の南米進出
天野博物館事務局長(1948年生)
研究のためにビジネスに力を入れた天野芳太郎
アメリカ生活の始まり(英語)
新一世実業家 (1927-2016年)
園芸ビジネスを学ぶ(英語)