ディスカバー・ニッケイ

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天野芳太郎の南米進出

(天野芳太郎の)自分の夢は、やはり、あの、横浜で、ちょっと歩くと万国橋っていう橋があって、向こうの方に氷川丸とかが見えたりとかですね。その時に、今でいう飛行場じゃなくて、世界の国から船が来るわけですよね。世界に散っていくと。そういうものを目の当たりにしてみて、いつかは自分もこの外国で何か仕事をしてみたいという気持ちに駆られていたようで。 ま、それが縁になって、財産を全て処分をして、いろんな世界中を、一番いいところを選びながら、旅をするんですけども。最終的に南米の、しかもパナマというところにね、目をつけて。 パナマで、商品を動かせば、非常に回転率が一番高いところだったので。あの他の南米のとこよりも、一番その商品の回転率がいいところだということで、パナマに京を構えて、そこから戦前事業を拡大していくわけです。ですから、最盛期は、あの、第二次世界大戦が始まる直前は、パナマで一番大きなディスカウントショップのような、一番大きなパナマ一大きな、スーパーマーケットのような、仕事をしてました。


パナマ ビジネス 天野芳太郎 戦前 第二次世界大戦 経営 経済学

日付: 2007年5月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年生まれ。東京出身。早稲田大学教育学部卒業。数年後、ペルーリマ市へ移住。スペイン語を学ぶかたわら、天野博物館を創設・経営していた祖父の天野芳太郎氏の仕事を手伝う。その後、日系ペルー人2世と結婚。現在は、ペルーの文化研究家、土器・織物の収集・研究家、天野博物館の事務局長として発掘作業、博物館の運営に携わる。また、ペルーの民間外交官として、政府要人、経済人、マスコミ取材、TV番組制作などのアテンドも行っている。年に数回は日本を訪れ、全国各地で講演やパネルディスカッションを行うなど、広い分野において活動を行っている。(2007年5月)

カズオ・フナイ

ビジネスでの苦い経験

一世実業家(1900-2005)

カズオ・フナイ

東京の会社が焼失

一世実業家(1900-2005)

サム・ナイトウ

戦後に始めた輸入業(英語)

二世ビジネスマン。Made in Oregonの店をオープン。(1921年生)

ビル・ハシズメ

父による農業経営の成功(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

ビル・ハシズメ

アメリカ人と日本人の連絡役(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

バート・A・コバヤシ

19歳で家族経営に携わる(英語)

Kobayashi Group LLCの.創設者 (1944年生)

バート・A・コバヤシ

仕事における体・心・精神の倫理(英語)

Kobayashi Group LLCの.創設者 (1944年生)

西村 俊治

見よう見真似で物にした仕事

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

西村 俊治

ブラジル社会に恩返し-不足のテクニコを育成

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

BJ・コバヤシ

家族経営に携わることへ疑問なし(英語)

ハワイのビジネスマン、開発者

BJ・コバヤシ

Alberto Chikanobu Kobayashi, Inc.(英語)

ハワイのビジネスマン、開発者

天野美代子

捕虜交換船で強制帰国させられた天野芳太郎

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

戦後、南米へ密入国を試みた天野芳太郎

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

歴史好きだった天野芳太郎

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

天野芳太郎の日本でのビジネス

天野博物館館長 (1929年生)