ディスカバー・ニッケイ

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コミュニティを超えた思いがけない支援(英語)

(英語)フィリピン系のフェルディナンド・ガルバスという男性のことを良く覚えています。彼は、以前フィリピノ協会の会長でした。ストックトンには、ご存知のとおりフィリピン系の大きなコミュニティがあります。彼は、ストックトンのフィリピン系住人が日系アメリカ人への補償に反対の立場をとる、という決断を聞きつけ、そのことを確かめると、すぐにストックトンに直談判に出かけました。彼は、「君たちは、自分たちが何をしたのかわかっているのか?何が起きているのか、本当に理解しているのか?」と問いました。すると彼らは、自分達はフィリピンで日本を相手に戦った、と口々に言いました。ガルバス氏は、「まさに、僕はそのことを言っているんだ。君たちは自分たちが何をしているのか知らないんだ。君たちがフィリピンで戦った相手は彼らじゃない。彼らは、君たちの見方としてフィリピンで共に戦った人たちだ。」と言い、彼らは考えを変えたのです。

我々の力になるために立ち上がり、奮闘してくれた日系以外の大変多くの人々は、まさにこのような人々でした。でも、我々は彼らを見過ごしてしまいがちです。大変な活躍をしてくれた白人の人々や、日系ではない本当にたくさんの協力者がいたのに、誰も彼らの話をしません。日系人だけでやり遂げたのではありません。日系ではない人々の多大な支援があったのです。


Filipino Community of Sacramento and Vicinity(団体) 政府 政治 リドレス運動

日付: 1998年7月1・2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ミッチェル・マキ、ダーシー・イキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

クリフォード・ウエダ氏は、1917年1月14日、ワシントン州オリンピアの牡蠣養殖業者の家庭に生まれました。1941年から1945年にかけてウィスコンシン大学で学び、その後、ルイジアナ州ニューオーリンズのチュレーン大学医学部に進学しました。ウエダ氏は、カリフォルニア州サンフランシスコで医師となりました。

ウエダ氏が日系アメリカ人市民同盟で活動を始めたのは、1960年にサンフランシスコ支部で一世のオーラル・ヒストリー・プロジェクトの座長を務めたことがきっかけでした。ウエダ氏は、サンフランシスコ州立大学でエスニック・スタディーズの専門学部の立ち上げに貢献した他、「東京ローズ」として知られるアイバ・トグリ氏が、大統領恩赦を得てアメリカ国籍を回復するための支援者のひとりとして、重要な役割を果たしました。

1975年、医師を引退したウエダ氏は、フルタイムの活動家に転身しました。1977年、ウエダ氏は、全米JACLの代表として日系人強制収容に対する賠償運動に参加し、1978年から1980にはJACL会長となりました。様々な役割を通してコミュニティに貢献してきたウエダ氏は、2004年、84歳で癌のため亡くなりました。(2008年4月11日)

ヘンリー・ミヤタケ

歴史は変化し続ける(英語)

補償運動の発起者の一人(1929-2014)

チェリー・キノシタ

賠償金請求の必要性 (英語)

補償運動のリーダーの一人 (1923 - 2008年)

チェリー・キノシタ

苦しみを乗り越えて (英語)

補償運動のリーダーの一人 (1923 - 2008年)

ビル・ホソカワ

賠償(リパレーション)から補償(リドレス)へ (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

ビル・ホソカワ

証拠の強み (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

ピーター・アイロンズ

動かぬ証拠の発見 (英語)

戦時中の裁判の再審要求を担当した弁護士(1940年生)

チエ・トミヒロ

聴聞会の証人委員としての役割 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

チエ・トミヒロ

話すことを阻んだ恥の意識 (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

チエ・トミヒロ

今後すべきこと (日本語)

JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長

バート・ナカノ

補償運動への参加者の増加 (英語)

政治活動家 (1928-2003年)

バート・ナカノ

ワシントン政界の説得 (英語)

政治活動家 (1928-2003年)

バート・ナカノ

大衆の力 (英語)

政治活動家 (1928-2003年)

ジョージ・ヨシダ

三世と補償運動(英語)

音楽家 (1922年)

ウィリアム・マルタニ

補償金額の算出(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事

ウィリアム・マルタニ

CWRIC委員就任の決断(英語)

CWRICに関わった唯一の日系判事