ディスカバー・ニッケイ

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アルゼンチンでの差別(スペイン語)

(スペイン語)人種差別は無いと思います。そんな思いをしたことはあまりありませんね。中には「ハポネス(日本人)、イホ・デ・ハポネス(日本人の子)と読んでも振り向いてくれないので、「Ché japonés (おおい、その日本人よ)」というと反応されます。しかし、日本人も「俺たちも名前があるんだ、なんで、『ハポネス、ハポネス』というんだ」と怒ります。私は、「ché, japonés」と呼ばれると、逆に「何だこのイタコー」、「このガジェゴ(ガリシア出身のことだが、すべてのスペイン人を指しておりちょっとバカにした部分も含む)」というと、アルゼンチンもトーンを控え、ちゃんと尊敬をこめて呼ぶようになります。そうした観点から変な差別は無いし、みんな尊重し合っていると思うのです。


アルゼンチン 差別 対人関係 人種差別

日付: 2007年2月23日

場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス

インタビュアー: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ

提供: アルゼンチン日系センター

語り手のプロフィール

高木一臣氏は、1925年3月27日三重県で生まれ、観光客としてアルゼンチンへ渡り、そのまま現地へ留まりました。高木氏は、ジャーナリズムの職を得て、その後50年以上に渡り、ラジオやグラフィック関係の仕事をしてきました。81歳を迎えた高木氏は、様々な媒体を介した広告に取り組みながら、日本人コミュニティ新聞、『らぷらた報知』のジャーナリストとして熱心に活動を続けています。高木氏は、2014年11月10日、89歳で亡くなりました。(2021年1月)

ジョージ・タケイ

アジア系に対するステレオタイプ(英語)

俳優、活動家(1937年生)

キャロウェイ・久松 照美

サンフランシスコで受けた差別

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

トム・ユキ

日系人の帰還を歓迎しなかったサリナス(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

タカヨ・フィッシャー

戦後の米国で人種的に自分が何者なのか混乱(英語)

日系アメリカ人二世、舞台、映画、テレビ女優 (1932年生)

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士