ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/686/

戦前のワシントン州スポケーンで家族経営していたホテルでの鉄道労働者たちとの思い出 (英語)

(英語) 鉄道労働者たちは僕の両親のホテルを頻繁に利用していて、当時ホテルで働いていたのは母だけだったんです。父はグレート・ノーザン鉄道で働いていて、この時期は家を空けていました。公共事業促進局 (WPA) や市民保全部隊 (CCC) で雇われていた労働者たちも宿泊していて、彼らは母のことを、僕がかつて呼んでいたようにママと呼び、働いていた山近くにある川で釣ったニジマスを持って来てくれました。8ポンドから12ポンドもありそうな大きさのニジマスを持って来てくれたことも何回かありましたね。もちろん食べましたよ。母を気遣ってくれるいい人たちでしたし、みんなとても仲良くやっていましたね。


家族 ホテル 鉄道

日付: 2006年3月15・16日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: メーガン・アサカ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ジョージ・ヤマダ氏は、1923年ワシントン州スポケーンで生まれた日系二世です。同地には両親が経営するワールド・ホテルがあったため、幼年時代もそこで過ごしました。父親は(ホテル経営の他に)グレート・ノーザン鉄道で郵便係としても働きました。ルイス・アンド・クラーク高校、ワシントン州立大学に就学。戦争中、日系アメリカ人を乗せてワイオミング州ハート・マウンテンの収容所に向う電車が、スポケーンを通り過ぎていくのを見たのを覚えているそうです。1944年、陸軍に徴兵され、ミネソタ州フォートスネリングおよびカリフォルニア州プレシディオの陸軍情報部語学学校に従事しました。第2次世界大戦後は、ニューヨーク北部地方とその近郊で初生雛鑑別師(しょせいびなかんべつし)として30年間働き、1970年代半ばにスポケーンに戻り、不動産業に従事しました。現在は妻のスージーと共にスポケーンに住み、釣りに励んでいます。(2006年3月16日)

二宮 正人

奥様とのなれそめ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。