ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/530/

父からではなく歴史の本を通して学んだ収容所(英語)

(英語) 父は収容所に入ってたんですよ。典型的な日系人の家庭だったから、収容所の話なんてほとんど聞かなかったんです。収容所のことを家で話したりしないから、父から話を聞いたというよりは、本を読んで知りましたよ。父が収容所に入ったのは10歳か12歳くらいの時だったので、幼少期の大切な部分を占めてたことになりますね。でもね、やっぱりその頃の話題にはほとんど触れないんですよね。

僕としては収容所について本で読めて良かったと思うけど、個人的な体験っていうのが重要なんだし、もっと話を聞きたいなとは思いますね。父がそのことについて話したいのかどうかも僕にはわからないし、父は怒ってる訳じゃなんだけど、父にそのことを聞くっていうのも僕には難しいことなんです。もし聞いても返事はすごく短いだろうしね(笑い)。

とにかく僕は僕なりに本を読んだりして、(父の体験の)背景にある歴史を知ったんです。今でもどうしてそんなことが起こったのか理解できないけど、それはアメリカの日系人史上かなり重要な部分を占める出来事だった訳で、それを知るっていうのは僕の務めだと思ってますよ。


投獄 監禁 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2005年11月27日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

エリック・ナカムは雑誌『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長です。ロサンゼルス出身の三世で、典型的な日系アメリカ人の家庭に育ちました。土曜日に日本語学校へ通い、そこで基本的な日本の文化や伝統を学び、その当時の経験は、現在の彼の日系アメリカ人としてのアイデンティティを形成するのに大きな役割を果たしています。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校東アジア研究学科を卒業後、Larry Flynt出版に就職。そこで働いている間、アメリカのアジア系のポップカルチャーに焦点を当てた雑誌を出版することを思いつきます。1994年、共同創始者となるマーティン・ウォングとともに、自らコピー・製本し『ジャイアント・ロボット』の第1版を出版しました。ミニコミ誌として始めた『ジャイアント・ロボット』は、当初の売り上げは約240部ほどでしたが、現在ではアメリカ国外にも購読者を広げています。

『ジャイアント・ロボット』の成功を元に、日本からの輸入品を取り扱う店をロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコにオープンしました。これらの店では、商品を売るだけでなく、地元のアーティストの作品などを展示し、サポートしています。また、gr/eatsという名のレストランもオープンしました。

ナカムラは、『ジャイアント・ロボット』の雑誌の仕事に付け加え、『サンセット』と呼ばれる映画制作やそのほかのプロジェクトにもにもかかわっており、2006年、彼のアメリカにおける文化的な貢献に対し、全米日系人博物館より賞を受賞しました。(2006年10月26日)

ベン・サコグチ

キャンプから帰ってきて

(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家