インタビュー
『青い目の人形』
(英語)当時のナイトクラブは、クラブごとにいろんな余興をやっていたんですね。お客さんにも何かできるか聞いたりしてね。それで私はその機会を利用して、「私、歌います。」なんて言ってたんです。(笑)
I*:それで、どんな曲を歌いましたか?
そうですね、お客さんに合わせて選曲してました。客層を見て、楽しんでくれそうな曲を選びましたよ。日系人がお客さんの時は、日本語の歌を歌ってました。
I:日本語の曲も歌ったんですね。
ええ、そうですよ。私がすごく好きだったのは、あれは確か、国際親善のためにアメリカが日本に送った人形の歌でしたね。
I:それはどんな歌ですか?
ええとね、どんな風だったかしら?いつも歌っていたんですけどね。今はちょっと声が出ないわ。ああ、青い目の人形、でしたね。
(歌)
青い眼をした お人形は
アメリカ生れの セルロイド
日本の港へ ついたとき
一杯涙を うかべてた
「わたしは 言葉がわからない
迷ひ子になったら なんとせう」
やさしい日本の 嬢ちゃんよ
仲よく遊んで やっとくれ
仲よく遊んで やっとくれ
この曲は忘れられないですね。
*「I」はインタビュアー(アケミ・キクムラ・ヤノ)
日付: 2005年12月6日
場所: 米国、オレゴン州
インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター