ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/265/

熱心に働く子供たち (英語)

(英語) 母の世代――あなた方の祖母の世代――には、小学校でならった儒教の教えが小さな頃からずっと刻みこまれているんです。私も写真花嫁と一緒に働いて習ったのは儒教の教えでした。彼女たちからは本当に多くのことを学びましたよ。その教えが彼女たちに耐える強さ、貫く強さを与えたんですからね。

シングルマザーである母にとっては、大変な苦労だったと思います。母は洗濯をする側ら、私たちを最低でも8年生(中学2年生)まで学校に行かせると決心していたようですから。(あの頃は)5年生までしかいけない子供が多く、まわりの友達も皆そうでした。両親にそんな余裕はなく、子供たちも畑で働かなくちゃいけませんでしたからね。そして畑仕事の賃金はたった・・・私の兄(弟?)は8年生を卒業したすぐ翌日から働き始めましたが、一日10時間のきつい仕事をこなしても50セント位しかもらえなかったんです。夏になると、一日たった25セントしかもらえず、子供たちも大変だったんです。


教育 プランテーション サトウキビ

日付: 2004年2月19日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: リサ・イタガキ、クリッシー・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

バーバラ・カワカミ氏は1921年熊本県に生まれました。彼女の家は封建時代からの農家で、そこで350年余りの歴史を持つ旧家でした。ハワイのオワフ島にあるオワフ砂糖農園で育った彼女は、仕立て屋・家政婦として働いていました。しかし、50歳を過ぎた頃、高校進学を決意し、その後テキスタイル・アンド・クロージング(繊維・衣服)の理学士号(BS)とアジア学の文学修士号(MA)を取得しました。カワカミ氏は日本人移民の衣料を専門とするストーリー・テラーであり、学者でもあります。(2004年2月19日)

ヘンリー・須藤

日本での学校生活

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

スミコ・コザワ

英語を覚える (英語)

花屋 (1916-2016年)

ヘンリー・須藤

無我夢中で頑張った戦後

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

BJ・コバヤシ

弁護士から開発業者へ(英語)

ハワイのビジネスマン、開発者

ススム・“スス” ・イトウ

仕事を探していた時に感じた差別 (英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

上司の招きでハーバード大学の教員に(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

隣人の庭で日本語学校を始めた母(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ミツエ・ヤマダ

「ノーーノー・ボーイ」となった兄の理由(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)