ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1458/

仕事を探していた時に感じた差別 (英語)

(英語)1年間短大に通いましたが、本当に楽しい経験でした。その後カリフォルニア大学バークレー校に合格しましたが、両親に言われたのです。「大学に行っても未来が明るくなるわけじゃないのはわかるよな」日系人は大学を出たとしても医者か歯科医になって日系コミュニティの中で働く以外に道はありませんでした。公務員になることさえも難しかったのです。

私は車の修理がとても得意で運転も好きだったので、「自動車整備の学校に行ったらどうだ?」と言われました。それで私は整備工になるための勉強をしました。しかしこの仕事に就くにも日系への差別を感じました。日系人は労働組合に加入できなかったのです。そうなると日系人のガソリンスタンドや修理工場で働くことしかできません。結局そうしましたが、正直に言って面白い仕事ではなかったですね。いつかガソリンスタンドや修理工場か何かを経営することになっていたかもしれませんが、将来性があるようには思えませんでした。ですから1940年に徴兵された時は、「やった!」と思ったのです。(笑)


偏見 国軍 教育 第442連隊戦闘団 第二次世界大戦 自動車整備士 退役軍人 退役軍人 (retired military personnel) アメリカ陸軍

日付: 2015年1月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: リリー・アン・Y・ウェルティ・タマイ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ススム・“スス”・イトウ氏は、日本人移民のソウヘイとヒサヨ夫妻の子として1919年カリフォルニア州ストックトンで生まれました。イトウ家は、コミュニティの多くの日系アメリカ人と同様に小作農としてセロリやテンサイ、アスパラを作り生計を立てていました。スス・イトウは慎ましい暮らしの中で育ちました。

1940年、イトウ氏はアメリカが第二次世界大戦に参戦する前に21歳で徴兵されました。最初はカリフォルニア州リバーサイド近くのハーン基地で需品運搬用トラックや専用車の維持を行う多人種混合ユニットに配属されました。戦時中は人種隔離部隊である第442連隊戦闘団傘下の第552砲兵大隊に所属し、砲兵C中隊で中尉を務めました。その間家族はアーカンソー州ローワー収容所に強制収容されていました。第二次世界大戦後、イトウ氏は復員兵援護法を利用し大学で生物を学び、生物学と胎生学で博士号を取得しました。イトウ氏は自身の研究分野の先駆者となり、1960年にはハーバード大学医学部で教職に就き、1991年以来名誉教授を務めています。

イトウ氏は、2015年9月、96歳で亡くなりました。(2015年9月)

ボブ・キヨシ・オカサキ

渡日に対する決断に祖母の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

ジョージ・アリヨシ

戦時中のプロム (英語)

民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)

ジーン・アリヨシ

真珠湾攻撃の日 (英語)

ハワイ州知事の元ファーストレディー

カズオ・フナイ

日本と米国

一世実業家(1900-2005)

ジェームス・ヒラバヤシ

親子の触れ合い (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

10代での収容所生活 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

コミュニティにおける日系アメリカ人研究センター (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

民族研究とのかかわり (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

日系人を研究している日本人研究者の推論 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ベナンシオ・シンキ

日本語学校での偏見 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ロバート・カタヤマ

日記をつけるように命令され、後にFBIへ押収(英語)

第2次大戦中に第442連隊に所属していたハワイの二世

バーバラ・カワカミ

熱心に働く子供たち (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

真珠湾攻撃 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

兵士たちを手助け (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

マサオ・コダニ

強制収容所での思い出(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。