インタビュー
不運だった親戚たち(英語)
(英語)母方の親戚についてはこのタイミングでお話しした方がいいでしょう。彼らは、爆心地から南におよそ3マイル(約4.8キロ)離れた古江に住んでいました。彼らは基本的に農家で、当時農業をしていました。
その日、母方の祖父母と一番下の叔父(母の一番下の弟)の3人は、作物を売りに町に出ていました。原爆投下時、彼らが具体的にどこにいたかは分かりませんが、爆心地からかなり近い場所だったに違いありません。祖母の遺体は見つかりませんでした。祖母はただ消えてしまったのです。祖父は大怪我を負い、なんとか古江に戻ったものの、数日後に亡くなりました。叔父は、—以前彼と話をしましたが—川に投げ出されたと言っていました。広島は川がとても多いのです。川に投げ出されて一命をとりとめたのでしょう。しかし両足には大やけどを負っていました。
日付: 2019年9月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 三木 昌子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター