ディスカバー・ニッケイ

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海外に憧れ調理師免許を取得

大学の時にアルバイトでほとんど飲食関係、お弁当屋さんとかなんかで働いていて、それでお弁当屋さんの社長から、一応調理師免状を取る場合には許可をもらわなきゃいけないんですね、その人の、社長のサインを。それをもらって調理師免許、受かったんですね。それを持って。なぜ取ったかって言ったら、当時調理師免許取ってれば貨物か貨客船にただで船に乗れて外国に行けるんじゃないかなって考えで取ったんですけど。それはなくてこちらに来て、その当時、ガーデナー(庭師)やる前に、日本人街に来た時に日本食レストランが2、3軒きりなかったんですね。自分、調理師免許持ってますよって言ったら、もうびっくりしちゃって、逆に雇ってくれなかったんですよね。そういう凄い人はいらないっていうような感じで。


カリフォルニア州 ライセンス ロサンゼルス 移住 (migration) アメリカ合衆国

日付: 2015年8月4日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺 美津重

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1969年にアメリカへ初めて入国。1年半、ロサンゼルスで生活した後、半年ほど世界各地を訪問し、日本へ帰国するが、海外の生活に感銘を受け、その後再びアメリカへ戻ることを決意し、観光ビザでアメリカへ渡米。渡米当初は、庭師のヘルパーなどを2年ほどしていたが、その後独立し、正規のビザを取り、飲食業を始める。現在は、カリフォルニア州オレンジ郡とロサンゼルスを中心に居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」を経営している。(2018年8月)

阪根 博

戦後ペルーへ戻った理由

天野博物館事務局長(1948年生)

スミコ・コザワ

家族経営の花屋で働き、グレタ・ガルボと出会う (英語)

花屋 (1916-2016年)

ハルノリ・オダ

渡米の決意(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

アメリカ生活の始まり(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

事業の拡大(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

人生哲学(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

大友 八郎

アメリカで直面した偏見

溶接業を営む新一世(1936年生)

上杉 武夫

渡米を勧めてくれた父(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

大友 八郎

娘が日本になじめず、再度アメリカ行きを決意

溶接業を営む新一世(1936年生)

トム・ユキ

カリフォルニア州サリナスに移民として渡った家族(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

キシ・バシ

両親は新一世(英語)

音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生) 

ミシェル・ヤマシロ

日本人がペルーへ移住した理由 (英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

ミツエ・ヤマダ

写真花嫁の集団と一緒にアメリカに渡った母(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

ミツエ・ヤマダ

日本から到着した母のためにアメリカの洋服を買った父(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)