https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1559/
日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)
(ポルトガル語)私の場合、リーマンショックがあってとても良かったと思う。なぜって、確かあれは、2008年~2009年頃に始まったよね?ちょうどその頃、仙台や福島の大企業に働いていたブラジル人がたちまち居なくなったので、私は何キロも運転する必要がなくなったんだ。
日付: 2016年10月19日
場所: 日本、群馬県
インタビュアー: 小嶋 茂
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
アントニオ・シンキチ・シコタは1962年9月12日サンパウロ州カンピナス市に日本生まれの両親の元生まれた。友人に誘われ、来日した。工場で働き始め、日本の暮らしにすぐに馴染んだので日本に居ることにした。ブラジル商品を移動販売する会社を立ち上げ、現在は群馬県大泉町に住んでいる。移動販売では、いろいろな商品を、特に日系人の客に直接販売している。大泉町の暮らしが気に入っている。(2018年2月)
ビジネスでの苦い経験
一世実業家(1900-2005)
東京の会社が焼失
戦後に始めた輸入業(英語)
二世ビジネスマン。Made in Oregonの店をオープン。(1921年生)
父による農業経営の成功(英語)
1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)
アメリカ人と日本人の連絡役(英語)
19歳で家族経営に携わる(英語)
Kobayashi Group LLCの.創設者 (1944年生)
仕事における体・心・精神の倫理(英語)
見よう見真似で物にした仕事
JACTOグループ創設者 (1911-2010)
ブラジル社会に恩返し-不足のテクニコを育成
家族経営に携わることへ疑問なし(英語)
ハワイのビジネスマン、開発者
Alberto Chikanobu Kobayashi, Inc.(英語)
天野芳太郎の日本でのビジネス
天野博物館館長 (1929年生)
天野芳太郎のマグロ漁船
天野芳太郎の南米進出
天野博物館事務局長(1948年生)
研究のためにビジネスに力を入れた天野芳太郎