ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1551/

アメリカで直面した偏見

同じアメリカ人だったら、「Youは仕事できるか?」とかね、聞かないんだと思うんだけどね、我々には「お前溶接の仕方知っているか?」だとかね、平気で言うわけ。(店に)入ってきても言うんですよ。だから、「ばか、お前どこへ来たんだ?溶接店へ来たんだからね、溶接しないわけないだろ。出てってくれよ、グッバイ!」追い出しちゃうわけ。態度が悪いのは。だから、知ってるやつはね、今はそこで1978年から、80年からやっているからね、あそこへ行って変な事を言うとね、喧嘩になるからね、行くな。行くな、か、行ってどうしてもやってもらいたけりゃ何も言わないで黙ってろ。というのを、だいだい知っている人は知っているんだけど・・・。


カリフォルニア州 家族 ロサンゼルス 移住 (migration) アメリカ合衆国

日付: 2016年7月17日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村陽子、渡辺美津重

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1936年8月、宮城県桃生郡小野村(現在の東松島市)で半農半漁をする両親のもとに生まれる。高校卒業後すぐに横浜へ移り住み、配管工になり、主に発電所の建設などにの仕事に携わった。1961年、25歳の時に兄とともに発電所の請負会社「河北産業」を立ち上げ成功するが、兄とのいさかいから会社を辞め独立。1975年、横浜の市長選に出馬するが落選、その後アメリカへ移住を決める。グリーンカードを取得し、ミズーリ州のカンサスシティへ娘二人と妻を連れ家族で移住するが、1年半後に日本へ帰国した。しかし、娘が日本の生活になじめず、その10か月後、再び家族でアメリカへ戻ることを決意。1978年、ロサンゼルスへ家族とともに再び渡米。以来、ロサンゼルス郡モンロビア市に住み、隣接するボールドウィンパークで溶接業(AAM Welding Company)を営んでいる。(2017年10月)

ホリー・J・フジエ

アジア系アメリカ人として初のカリフォルニア州弁護士会会長になったこと(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

二宮 正人

奥様とのなれそめ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。