インタビュー
楽天的だった父(英語)
(英語)二世の父の特徴の一つに、とても楽天的だったということがありました。当時の日本町界隈では、「全部売らないと」とか、「二度と戻って来れないのだから、売れる値で売らないと」などと皆が噂していました。ドイツのナチスについての様々な話やヨーロッパで起きていることを聞き、日本、またはアメリカが戦争に勝ったらどうなるのだろうか、どちらが勝っても私たちは横一列に並べられ、処刑されるだろうから二度と戻れない、と言う人もいました。
しかし父は、必ず戻れるという考えでした。父はとても楽天的で、実は親友の一人の中国系のチャックの一家に、1939年に買ったばかりの家に住むよう勧めたのです。そうして私と同じくらいの年齢の娘を持つチャックの一家は、私たちの家に住むようになりました。それで戦後、サンフランシスコに戻った私たちには戻る家があったのです。
日付: 2015年8月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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ジョージ・カツミ・ユザワ
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戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)
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