ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1505/

家族経営の種苗会社(英語)

(英語)1927年に家族でサンタモニカに引っ越しました。ウィリーはそこで生まれました。5エーカーの苗園で種苗の栽培と卸売をしていました。父は、ロス・パルマス(Los Palmas)という屋号で小売業も始めました。卸売の方の社名はフクハラ種苗(Fukuhara’s Nursery)といいました。

それ以来5人兄弟全員が種苗ビジネスの中で育ちました。私たちはそれ以外(の仕事)を知りません。そして今日に至るまで、つまり退職するまで、――フランクと私は1986年に退職しました――サンタモニカで種苗生産に携わりました。


ビジネス カリフォルニア州 経済学 園芸 経営 育苗業者(園芸) サンタモニカ アメリカ合衆国

日付: 2015年2月6日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1921年9月21日、日系移民の両親、イチスケとウメ・フクハラの元にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれる。1927年、ジミーの父は家族を連れてカリフォルニア州サンタモニカに移住し、種苗会社を起業。ジミーはサンタモニカ高校を卒業し、1942年に家族と共にマンザナー強制収容所に送られるまで父の会社で働く。

収容所から早期出所したジミーは弟のジョージと共にペンシルベニア州に移るが、その後60日以内に陸軍に徴兵される。陸軍情報学校に志願し、基礎訓練終了後に東京に派遣され、マッカーサー元師の総司令部(GHQ)の労働局で任務に就く。日本を離れる前、ジミーは両親の親戚を探すために広島を訪問。除隊後はサンタモニカに戻り、4人の兄弟と共に1986年まで種苗会社で働く。(2016年5月)

ハルノリ・オダ

人生哲学(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

大友 八郎

アメリカで直面した偏見

溶接業を営む新一世(1936年生)

大友 八郎

ミズーリ州でのビジネス

溶接業を営む新一世(1936年生)

大友 八郎

娘が日本になじめず、再度アメリカ行きを決意

溶接業を営む新一世(1936年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

工場労働者から自分のビジネスを持つまでの道のり(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

ミシェル・ヤマシロ

沖縄系アメリカ人(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

トム・ユキ

第二次大戦中は父のビジネスパートナーが農業ビジネスを管理した(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

トム・ユキ

日系人の帰還を歓迎しなかったサリナス(英語)

三世のビジネスマン(1935年生)

ホリー・J・フジエ

アジア系アメリカ人として初のカリフォルニア州弁護士会会長になったこと(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事