ディスカバー・ニッケイ

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アメリカ陸軍航空隊での差別 (英語)

(英語)航空隊のトップが、ハップ・アーノルド(ヘンリー・ハーレー・アーノルド)将官でしたからね。名前を聞いたことがあるかもしれませんが、彼には相当な偏見があり、日本と関わりのある者が飛行士になることを認めませんでした。爆撃手や射撃手などで成功した日系人はいましたし、1人でいくつも手がけている人もいました。しかし、私が知る限りでは第二次大戦中に日系人パイロットは1人も居らず、特にこの将官の時代には皆無でした。


差別 対人関係 アメリカ陸軍航空隊

日付: 2013年2月12日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ダンカン・ウィリアムス

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター,ニットータイヤ「Life History Project」の協力。南カリフォルニア大学「Hapa Japan Database Project」による提供。

語り手のプロフィール

バージル・ウエストデール氏は、1918年、インディアナ州の農場でニシムラ家の5人兄弟の4番目として生まれました。父は日本人、母親はイギリス・ドイツ系でした。ウエストデール氏は、大学在学中飛行士となることに興味を持ち、自家用飛行機操縦士の資格を取得しました。

第二次世界大戦が始まり、日系であることを理由に、彼の商業用操縦士資格は剥奪されました。ウエストデール氏は、法的に姓を変え、ニシムラの西をウエスト、村をデールとし、ウエストデールと改名しました。彼は、アメリカ陸軍航空隊に入隊しましたが、1年後、軍部に日本人との混血であることが知られると、降格処分を受け、強制的に第442連隊戦闘団へ入隊させられました。彼は、イタリアとフランスに出征し、「失われた大隊」の救出に加わりました。終戦間近には、第522野戦砲兵大隊に編入し、ドイツのダッハウ強制収容所でユダヤ人収容者の救出にも加わりました。

戦後、ウエストデール氏は2つの学位と25の特許を取得し、科学分野の研究開発における国際賞を受賞しました。引退後は、運輸保安庁で14年間働きました。

ウエストデール氏は、共同で自伝「Blue Skies and Thunder: Farm Boy, Pilot, Inventor, TSA Officer, and WWII Soldier of the 442nd Regimental Combat Team」を執筆し、2011年には名誉黄金勲章を受賞しました。2022年2月8日、104歳にてなくなりました。(2022年2月)


*ダンカン・ウィリアムス氏によるバージル・ウエストデール氏へのインタビューは、展示「Visible & Invisible: A Hapa Japanese American History」(目立つ、目立たない:日系アメリカ人“ハパ”の歴史)のために行われました。この展示は、南カリフォルニア大学による「Hapa Japan Database Project」との共催により、ニットータイヤ「Life History Project」の協力を得て開催されています。撮影はエヴァン・コダニ氏。

アルフレド・カトウ

日本人に対するステレオタイプ: 昔と今(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

ジョージ・カツミ・ユザワ

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戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ジョージ・カツミ・ユザワ

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ジョージ・カツミ・ユザワ

真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

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PJ・ヒラバヤシ

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ジーン・ワカツキ・ヒューストン

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終わることを知らない人種差別 (英語)

作家(1934年生)

モニカ・小木曽

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藤間勘須磨

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アイコ・ヨシナガ・ハージック

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研究者、活動家(1924-2018年)

ジャック・ハージック

人種ゆえにより説得力を持った証言(英語)

元米国陸軍対敵諜報部将校(1922-2005)