ディスカバー・ニッケイ

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第442連隊の補償への貢献(英語)

(英語)もし第442連隊がなければ補償はなかったという意味で、私達は成功しました。誰が何と言おうと、補償は司法の問題ではありません。最高裁がこの問題の判決を覆す理由はなかったでしょうから。もしかしたら再び(裁判に)持ち込むべきだったのかもれませんが、そういうことは起きていませんでしたし、法律書にもありませんし、司法制度はそういう仕組みにはなっていません。司法制度によると、再び裁判に持ち込むには似たようなケースをあげなくてはなりません。でも似たケースなどありませんから。ですからこれは政治的な問題になります。

もし議会を通過させる政治問題なのであれば、どの位血を流したかというようなことはカウントに入ります。もし第100歩兵部大隊や第442連隊の成果がなければ、議会が補償を通過させると思いますか?それはありません。単なる理論や司法的根拠では絶対に勝ちえないのです。強硬派は(反対を)固守するところですが、血を流したことに対し戦えません。もう少し細かく言うと、強硬派は「あなた達はヨーロッパには喜んで行き戦い血を流したかもしれないが、日本人とは戦っていない」と言います。しかし米軍事情報部(Military Intelligence Service. =MIS)のことを彼らに言えば、彼らも屈服せざるを得ません。ですから、第2次世界大戦の退役軍人の貢献は大きかったと言えます。でも問題を解決したとはいえません。


第100歩兵大隊 第442連隊戦闘団 軍隊 (armed forces) リドレス運動 退役軍人 (retired military personnel) アメリカ陸軍 退役軍人 第二次世界大戦

日付: 1995年8月28日

場所: 米国、カリフォルニア州

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ヨンオク・キム大佐(米国陸軍退役軍人)は、第442連隊戦闘団第100歩兵大隊の一員として第二次大戦を戦い、叙勲された退役軍人であり、コミュニティリーダーとして多くの人々に尊敬されています。キム大佐は、1919年カリフォルニア州ロサンゼルスの朝鮮系移民の家庭に生まれました。

戦争の勃発と共に、彼は日系二世のみで構成された第100歩兵大隊の一員となりましたが、軍は、キム大佐と日系人の間に摩擦が生じることを懸念し、別部隊への異動を提案しました。しかし、彼は日系も朝鮮系も同じアメリカ人である、と主張し、その提案を拒否しました。生まれながらのリーダーとしての才覚と戦場での鋭い直感力、キム大佐の戦場での偉業は伝説的でさえあります。

キム大佐は、朝鮮戦争で再び戦地へ戻り、マイノリティとしては初めて大隊長に任命されました。1972年に退役した大佐は、殊勲十字章、銀星章、2度の青銅星章、3度のパープルハート章、フランス政府からの戦功章を含む19の勲章を授与されました。

後年、キム大佐は、ゴーフォーブローク教育基金、全米日系人博物館、韓人健康情報センター、韓国系アメリカ人連合など、数多くの団体の立ち上げを支援し、アジア系コミュニティに貢献してきました。キム大佐は、2005年12月29日癌のため、86歳で亡くなりました。(2008年8月8日)

Henry Shimizu
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ヘンリー・シミズ

大戦中カナダ政府の許可を持って出版した邦字新聞 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

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ヘンリー・シミズ

大戦中カナダ政府によってサポートされた邦字新聞 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

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へースティング・パーク収容所から抜け出して (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

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カナダ政府による日本送還への圧力 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

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同胞の援助と協力 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

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Venancio Shinki
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ベナンシオ・シンキ

日本語学校の閉鎖と日本人の強制送還 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

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George Abe
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ジョージ・アベ

出生地のもつ意義に気づいて (英語)

太鼓・尺八奏者(1944生)

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スー・エンブリー

考え方の変化(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

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Sue Embrey
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スー・エンブリー

制度の中で(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

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Sue Embrey
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スー・エンブリー

正義への戦い(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

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ヘンリー・ミヤタケ

歴史は変化し続ける(英語)

補償運動の発起者の一人(1929-2014)

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Cherry Kinoshita
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チェリー・キノシタ

賠償金請求の必要性 (英語)

補償運動のリーダーの一人 (1923 - 2008年)

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Cherry Kinoshita
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チェリー・キノシタ

苦しみを乗り越えて (英語)

補償運動のリーダーの一人 (1923 - 2008年)

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Bill Hosokawa
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ビル・ホソカワ

賠償(リパレーション)から補償(リドレス)へ (英語)

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証拠の強み (英語)

ジャーナリスト (1915 - 2007年)

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