ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/855/

日本語学校の閉鎖と日本人の強制送還 (スペイン語)

(スペイン語) [日本語]学校が閉鎖される前、既に別の事件が起きていました。当時、父を含め、学校だけは無害で、校長や日本から派遣されていた教員等は大丈夫だと思っていたのです。しかし、リマ市内で日本人経営の店が略奪され、その前には農場の没収もありました。多くの日本人がせっかく手に入れた農場を失ったのです。そして、商店も。多くの店は略奪にあい、すっからかんにされたのです。サンニコラスでもそうした気配が漂ってました。だからこそ、父は友人の助言によってすべてを手放したのです。それだけ、父のその友人は当時の空気(リマで起きていたことやその他の地でも起きようとしていたこと)を読んでいたのです。

その後、学校も取締の対象になり、校長は拘束されました。校長は誰も知らない小さな部屋を持っていて、そこでラジオ短波を聞いていたので、日本の戦況に詳しかったのです。そのニュースを、校長先生はラジオ体操が終わった後に、我々に伝えていたのです。警察の家宅捜索の末、すべてが発覚し、校長と多数の先生が拘束され、強制収容所に連行されました。

I*: 強制送還されたのでしょうか?

ええ。強制連行されました。聞いた話しによると、アメリカのテキサス州に送られたとのことですが、良く覚えていません。一緒にではなく別々に送還されました。アメリカ政府はそうした人達を一緒には送還しなかったようです。さすがに頭がいいですよね。そして、我々は路頭に迷うことになったのです。

* 「I」はインタビュワー


教育 投獄 監禁 日本語学校 語学学校 ペルー 第二次世界大戦

日付: 2007年9月6日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: ハルミ・ナコ

提供: ペルー日系人協会 (APJ)

語り手のプロフィール

ベナンシオ・シンキ・ウアマン氏はペルーのリマ市郊外スペ地区に1932年に生まれました。画家として最も功績を残している日系ペルー人のひとりです。父親のキツケ・シンキ氏は広島県出身で、母親のフィロメナ・ウアマンは地元ペルー人の方です。多くの日本人移住者が入植したリマ北部のスペという町にあるサンニコラス農場で生まれ育ちました。同氏はペルーの国立美術大学に進学し、1962年に首席で卒業しています。

シンキ氏の作品には東洋、西洋、そしてアンデスの伝統文化の要素が組み込まれています。未知で好奇心をそそる世界を特徴ある超現実主義(シュールレアリズム)のスタイルで表現し、洗練された技術とそれまでにない像を描いたことで、ラテンアメリカの造形芸術の巨匠達と肩を並べることになったのです。 世界的にも表彰され、ペルー、日本、イタリア、アメリカ、コロンビア、エクアドル、ブラジル、ベネズエラ、パナマ、メキシコ等各地で個展や共同での展覧会に参加してきました。1999年には、ペルー日本人移民100周年記念事業の一環として名古屋の博物館でも展示を行いました。2006年11月リマで開催された第34回の「日本文化週間」では、多数の作品が展示されました。シンキ氏は、2016年に亡くなりました。 (2017年10月)

Robert (Bob) Kiyoshi Okasaki
en
ja
es
pt
ボブ・キヨシ・オカサキ

渡日に対する決断に祖母の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

en
ja
es
pt
George Katsumi Yuzawa
en
ja
es
pt
ジョージ・カツミ・ユザワ

真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

en
ja
es
pt
Henry Shimizu
en
ja
es
pt
ヘンリー・シミズ

真珠湾攻撃の影響の少なさ (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

en
ja
es
pt
Henry Shimizu
en
ja
es
pt
ヘンリー・シミズ

大戦中のカナダ在住の日本人漁師らの扱い (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

en
ja
es
pt
Henry Shimizu
en
ja
es
pt
ヘンリー・シミズ

大戦中カナダ政府によってサポートされた邦字新聞 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

en
ja
es
pt
James Hirabayashi
en
ja
es
pt
ジェームス・ヒラバヤシ

親子の触れ合い (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

en
ja
es
pt
Eric Nakamura
en
ja
es
pt
エリック・ナカムラ

マンザナー収容所でのスケボー体験(英語)

『ジャイアント・ロボット』の創設者・出版社社長

en
ja
es
pt
James Hirabayashi
en
ja
es
pt
ジェームス・ヒラバヤシ

10代での収容所生活 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

en
ja
es
pt
James Hirabayashi
en
ja
es
pt
ジェームス・ヒラバヤシ

コミュニティにおける日系アメリカ人研究センター (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

en
ja
es
pt
James Hirabayashi
en
ja
es
pt
ジェームス・ヒラバヤシ

民族研究とのかかわり (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

en
ja
es
pt
James Hirabayashi
en
ja
es
pt
ジェームス・ヒラバヤシ

日系人を研究している日本人研究者の推論 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

en
ja
es
pt
Barbara Kawakami
en
ja
es
pt
バーバラ・カワカミ

熱心に働く子供たち (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

en
ja
es
pt
Mas Kodani
en
ja
es
pt
マサオ・コダニ

強制収容所での思い出(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

en
ja
es
pt
Barbara Kawakami
en
ja
es
pt
バーバラ・カワカミ

初めての学校 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

en
ja
es
pt
Takeo Uesugi
en
ja
es
pt
上杉 武夫

米国で働く前に日本で勉強したこと(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

en
ja
es
pt