ディスカバー・ニッケイ

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立場を明らかにすることへの願望 (英語)

(英語) 私は(日系人が置かれた)状況すべてが不当だと強く感じていました。政府が日系人をそのような状況に追いやり、その一方で、外の自由な人々と同等に私たちを徴兵しようという政府の方針は、公平ではありません。到底受け入れられるものではありませんでした。我々の多くがそう感じていたからこそ、公平委員会を立ち上げる一歩を踏み出すことができたのです。何回かのミーティングの後しばらくして、私たち何名かは、委員会の活動をもう1歩前進させたいと思うようになりました。

情報を伝えるだけの活動ではなく、この状況に対する我々の態度を明らかにする活動ですね。1人か2人、会の活動をそこまで推し進めることに否定的だった人がいたので、会の今後の方向性を考えるかなり深刻な委員会が開かれました。反対だった人は、何かトラブルが起こるかもしれないと言い、そのうちの1人は、当時既に大学を卒業していたポール・ワカナテでした。彼はスピーチが得意で、素晴らしい演説者だったんですよ。でも彼は、「活動をそんなに強硬にしない方がいい。」と言ったんですね。私は彼とずいぶん激しく言い争っていたのだと思いますが、仲間の1人に、「フランク、君が僕にそんな口のきき方をしたら、僕は君を殴りつけるかすぐにその場を立ち去るかどっちかだろうね。」と言われたんですよ。そして投票をしたところ、より強硬な態度をとっていきたいという人たちの方が多かったので、私たちは自分たちの権利が回復するまでは、兵隊に行かないことを公の場で表明したのです。


公民権 徴兵拒否者 ハートマウンテン ハートマウンテン強制収容所 ハートマウンテン・フェアプレイ委員会 投獄 監禁 抵抗 抵抗者 アメリカ合衆国 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所 ワイオミング州

日付: 2006年5月9日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: リサ・イタガキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

フランク・エミ氏は、1916年9月23日、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれました。彼が家族と共に営んできたビジネスは、戦争により廃業に追い込まれ、エミ氏と妻、2人の子供はハートマウンテン強制収容所に送られました。

エミ氏は、多くの人々と共に日系アメリカ人強制収容の合憲性について声高に問いました。また、ハートマウンテン公平委員会の立ち上げに貢献し、徴兵拒否運動を起こし、政府が日系人に対して取った措置に抗議しました。当時、エミ氏には子供がいたため、徴兵対象者ではありませんでした。

公平委員会は、日系人がアメリカ市民権を取り戻し、家族が収容所から解放されれば、喜んで兵役を受け入れると論じました。合衆国政府は、エミ氏と他6名のリーダーを徴兵忌避の共謀罪で訴えました。エミ氏は、18か月投獄され、他86人は裁判を経て徴兵拒否の罪で投獄されました。

戦後、エミ氏や他の徴兵拒否者は、日系人リーダーや退役軍人からつまはじきにされていました。その扱いは、戦後40年経ち、賠償運動が高まり、不正に対して毅然と立ち向かった公平委員会への汚名が晴らされるまで続きました。

フランク・エミ氏は、2010年12月、94歳で亡くなりました。(2010年12月)

上杉 武夫

米国に残り市民権を取得する決意(英語)

一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)

ロイ・H・マツモト

アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所の話ではなく人間ドラマ(英語)

作家(1934年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

忠誠心の質問への返答(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

マーガレット・クロイワ

第二次世界大戦中の収容所(英語)

一世医師の娘

ペギー・ニシムラ・ベイン

ツールレイクからミニドカ収容所への移動(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

ロジャー・シモムラ

戦中の体験を尋ねたときの父の否定的反応(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)

フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

藤間勘須磨

戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

スー・エンブリー

若かりし頃の視点 (英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

制度化されたシステムの悪影響(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

スー・エンブリー

制度の中で(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

スー・エンブリー

正義への戦い(英語)

コミュニティ活動家、マンザナー委員会の共同創設者(1923年 - 2006年)

ウィリアム・ホウリ

収容所へ戻ろうとした時(英語)

政治活動家(1927-2010)