Alberto-Kiyoshi Fonseca Sakai

フォンセカ酒井・アルベルト清の専門は社会学およびスペイン語教育。マドリード・コンプルテンセ大学で映像コミュニケーションの学士を取得したのち日本へ 渡る。静岡大学で修士号、千葉大学では日本におけるラテンアメリカ出身者のコミュニティ形成とエスニック・メディアの研究で博士号を取得。現在は城西国際 大学助教。NHKの国際放送でラジオ番組を担当。

(2008年4月 更新)

migration ja es

スペインにいる日本人

以前このサイトのフォーラムで、ヴィクトリア・クラウスさんがスペインにいる日本人移民についての情報を求めて書き込みをしたことがある。日本人の血を引く一スペイン人として、この場を借りてスペイン、特に私の育ったマドリードに住む日本人について私見を述べることにする。

スペインと日本の交流の歴史を遡ると、その起源を16世紀にみることができる。その時代に宣教師フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝え、その後、ポルトガル人商人が既に行っていた南蛮貿易にスペイン人も加わるようになる。

また周知のように、日本側もヨーロッパ、ないしスペインに使節団を派遣した時代でもある。具体的には、九州のキリシタン大名たちが「天正少年使節」を送り、その直後に伊達政宗が「慶長使節」を派遣した。後者の使節団の中に、日本に帰らずスペインに留まった日本人が数名いたと言われている。その子孫とされている人たちは「ハポン」(スペイン語では「日本」の意)という苗字を持つことになり、特にセビリヤの近くにあるコリア・デル・リオ市に現在でも多く住んでいる。(http://www.discovernikkei.org/wiki/index.php/Spain).

慶長使節団とハポン姓を持つ人びとの関連を証明できる決定的な証拠は存在しないが、事実であるとすれば、スペインに定着したあの日本人たちはヨーロッパ圏における最初の日本人移民だった可能性がある。いずれにしろ、その末裔たちが独自のコミュニティを形成し、日本の習慣や文化を守った形跡はないことが現状である。

さて、現在において「日本人移民」はスペインに存在するのか、という最初の疑問に立ち戻る前に、「移民」という単語自体をどう定義するのか、という 疑問を投げかける必要があるだろう。ここで私が連想するのは、家族で起きた小さな論争である。30年もスペインに滞在してきた母が、最近になって初めて友達に「移民」と呼ばれたのだが、「お母さんは移民なの?」という問いが浮かび上がったのだ。無論、「移民」という単語を用いた場合の前提として、移住する側と受け入れる側の間の経済的・社会的な不均等性が含意されているため、政治的な側面を帯びた言葉であることは否めない。このような政治性についての議論は別の機会に譲るとし、ここでは広い意味で「スペインに住む日本人」について簡単に記述したい。

他のヨーロッパ諸国と同様、スペインで日本人の存在が可視化し始めたのは1960年代以降のことである。日本の総合商社が現地で子会社や営業所を設立することによって、従業員も派遣されるようになり、更にスペインがEUの前身であるEEC(欧州共同体)に加盟した1986年からは、日系企業の投資の増加に伴って日本人の人数も著しい膨張の一途を辿った。

その結果、ヨーロッパ全体に渡っていえることは、日系企業の従業員およびその家族が日本人人口の多くの割合を占めているということである。この従業員たちは、会社の方針によって3~5年の間隔で転勤させられるいわゆる「転勤族」である。ヴァイス・カンパの分析によると、1991年にスペインで登録されていた2千人弱の日本人のうち、7割近くはスペイン滞在歴が5年間以下であった1

1992年はスペインにとってバルセロナ五輪とセビリヤ万国博覧会が開催された黄金の年であったが、その後の経済危機によって日本企業が多く撤退する時期の幕開けでもある。その象徴的な指標は、マドリード日本人学校の生徒数の推移である:1991年に155人のピークを達したのち年々減少を続け、2008年現在では20数名しか在籍していない2。 しかし、その反面、在スペイン日本人登録者数はほぼ毎年増加しており、現在では6千人を超えている3。この逆説的な状況を理解するためには、ポール・ホワイトがいう「第3の波」が近年の日本人移住の特徴であると考えるのがよいだろう。すなわち、90年代までの大企業従業員に取って代わって、現在ヨーロッパに移住する日本人の多くは独立プロフェッショナル、個人経営者、芸術家、文芸家など、個人的な理由によってスペインに渡った人で、もともと定住意志の強い人たちなのだ。

実際、この「第3の波」タイプの日本人は以前から存在していたものの、全体の日本人人口からみると小さい割合であった。スペインに根を下ろす決意には様々な理由があるが、特に二つの理由が顕著である。一方ではスペインの生活習慣や文化に惹かれた人たちがおり、芸術の中では絵画、文学、そして特にフラメンコの音楽や舞踊が重要な吸引力になる。他方で、スペイン国籍の人と結婚することが移住のきっかけになることも多い(日本人配偶者の大半は女性である)。

その中で特記すべきことは、子供に日本語教育を与えるために活動したマドリードの日本人婦人のストーリーである。1970年代当時の日本語補習学校は日本国籍を有する児童しか生徒として受け入れなかった状況に対して、スペイン人と結婚している日本人の母親たちは独自で日本語教室を開いた。このように生まれた「なかよし日本語教室」は週に一回、二世の子供たちが日本の言語や文化について学べる場になった。「なかよし」は1993年に閉室したが、日本人婦人は現在でも定期的に集まり、過去の活動から生まれた連携と団結の精神を次世代に受け継がせようとしている。

もともと小さかった日本人コミュニティであったが、近年スペインにおいて他の国籍の移民が大量に流入したため、量的に更に目立たなくなった。しかし、その状況と対照的に、スペイン社会での「日本」の存在は確実に大きくなったといえる。具体的には、マンガ・アニメ・テレビゲームのような映像カルチャーの浸透はもちろんであるが、ホアキン・ベルトランがいう「エキゾシズムの商品化」の対象として日本文化が台頭したのが最近の傾向である。つまり、生花の稽古に通ったり、指圧の治療を受けたり、和食を堪能することなどが一般のスペイン人の生活に広く馴染んできたことである。和食に関して興味深い現象は、安価の日本食レストランが最近次々に出現したことであるが、その多くは中国人が経営しているのだ。また、マドリードの日本人社会にとっての2大イベン ト、つまり盆踊り大会と餅つき大会には、最近多くのスペイン人参加者が目に付く。

スペインにおける日本人について大雑把に概観しただけだが、今後はこのテーマについて更なる探求をしたいと思う。ヨーロッパ各国における日本人の移住過程は非常に似ていると同時に、アメリカ大陸へ移住した日系人の経験とは明らかに異なる。しかし、個別の文脈に注意を払いながら分析を進めることによって、人の移動を促すグローバルな諸要因がどのようにローカルのレベルで分節されるかについて理解を深めることができるだろう。

注釈
1. スペイン統計庁からのデータ。一方、日本政府外務省のデータでは、この2倍の日本人登録者数が示されている。

2. しかし、バルセロナの日本人学校は100人前後の生徒数を安定的に維持してきている。カナリア諸島のラスパルマスにも日本人学校が存在していたが、2001年に閉校された。

3. 日本政府外務省によるデータ: http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/07/pdfs/1.pdf

参考文献
Beltrán, Joaquín (ed.); White, Paul; Park Hwa-Seo; Pieke, Frank N. (2006) Las diásporas de Asia Oriental en Europa Occidental. Documentos CIDOB Asia 13

Valls Campà, Lluís (1998) “La presencia humana de Japón en España”. Papers, No 54

* 本稿は、移民研究会(ディスカバー・ニッケイの協賛団体)が協賛団体の活動のひとつとして、当サイトへ寄稿したものです。

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identity ja

日系人研究再考 —上智大学ワークショップについて—

あるコミュニティについて語られるとき、通常二つの営みが同時に行われる。一つはそのコミュニティを定義する営みであり、もう一つはそのコミュニ ティの成員を特定することである。このような「定義」と「メンバーシップ」の営みによって、各々のコミュニティが措定され、内部からでも外部からでも認知 可能な社会的カテゴリーが形成される。

いうまでもないが、社会的カテゴリーとは固定化されたものではなく、歴史的な背景や文化的・社会的文脈によって意味と意義が変容するものである。つまり、社会的カテゴリーは常にダイナミックに流動するものであり、日常の場面で人びとによって交渉されるものである。

もちろん「日系人」というカテゴリーについても同様なことがいえる。世界各地に移住した日本人とその子孫には多様な経験があり、異なる時代・地域・ 世代を生きた人びとにとっての「日系人」の意味には差異があることは想像に難くない。一方、1990年代以降、アメリカ大陸から日本に渡った日系人にとっ ては、そのカテゴリーの成す意味にはまた別のアイデンティティが含意されている。

学術の世界においては、日系人を対象とした研究には長い蓄積があり、日系人の多様な経験に対する理解に大きく貢献してきた。しかし、複雑化した「日 系人」カテゴリーを捉え直す必要があるという声も少なくない。こうした問題意識の下、2008年2月16日に上智大学で「日系からNikkeiへ―日系人 研究への新たなるアプローチの模索-」と題したワークショップが開催された1。若手の研究者・大学院生を中心に、「日系人」の定義の形成と変遷を具体的な事例から議論し、今後の日系人研究について討議することが趣旨であった。

参加者人数(70人以上)が企画者の予想を遥かに上回ったこと、そして特にそこで行われたディスカッションの活発さを考えると、現在とても注目されているテーマであると筆者は感じた。続いて、ワークショップで行われた議論を簡単にまとめることにする。

まずは基調講演として、Jane Yamashiro(ハワイ大学大学院)が「日系人/Nikkei」という用語の使われ方について私見を述べた。例えば、コミュティリーダーなどを除けば 日常的にあまりNikkeiと名乗らないアメリカ合衆国の日系人と、「日本人の血を引く者」を名指すときに「日系人」が広く使われる日本との対照的な状況 を指摘した。これが「日系人/Nikkei」カテゴリーを分析する際の困難さであり、それを克服するために「自己反省的(Self- reflective)」な日系人研究を提起した。つまり、「日系人/Nikkei」カテゴリーは「誰が」、「いかなる方法で」使うか、そして「誰に対し て」使われているか、という側面に注意深くなる必要があるということだ。

続いての報告会は、第二次世界大戦の記憶とその後の運動から生じた日系人カテゴリーの構築をテーマにした第一部から始まり、ペルー、カナダ、そして フィリピンの事例からその過程が考察された。ライフストーリー研究を行う仲田周子(日本女子大学大学院)は、クリスタル・シティ収容所に抑留された「ペ ルー会」の日系人の語りについて論じた。収容所を「故郷」としてみなす語りがあることから、収容経験は多様であるだけではなく、そこには国家や民族の枠に 収まらないリアリティがあることを指摘した。庭山雄吉(東京大学大学院)は、強制移住を被った日系カナダ人によるコミュニティの定義が「Japanese in Canada」から「Japanese Canadian」へ、そして三世以降を中心に「Nikkei」へとカテゴリーが変化していく流れを解説した。また、フィリピンの事例を取り上げた飯島真 里子(上智大学)は、終戦後から日本のルーツを隠していた混血児たち(mestisong hapon)が、海外日系人大会への参加および日本への出稼ぎ経験を機に、自らの「日系人性」を前面に出すようになった過程を紹介した。

第二部では、現在における日系人のアイデンティティ構築をテーマにした3つの報告があった。ブラジルから日本へ渡った労働者の状況を分析した Hugo Córdova Quero(Graduate Theological Union大学院)は、日本人と日系人との間に新たな区別が現れたことを指摘し、極端な場合はステレオタイプに基づいた二項対立が生み出されると論じた。 続いて、佃陽子(東京大学大学院)はサンフランシスコのジャパンタウンで行ったフィールドワークを振り返って、当事者のみならず、研究者が調査を行うとき のコンテクストの問題に注意を喚起した。そこで、アルファベット表記のNikkeiというカテゴリーは、日系人自ら肯定的なアイデンティティとして戦略的 に使われるようになったと述べた。最後に、渡会環(上智大学大学院)はブラジルにおけるYOSAKOIソーラン祭りとアイデンティティ形成の関わりについ て発表し、若い日系ブラジル人は日本の舞踊を通じて、「日本性」と「ブラジル性」を融合した新たなハイブリッド表現を創造していることが理解できた。

以上の報告の他に、在日ブラジル人の事情を描いた映像ドキュメンタリー『この国にとどまって』(Hélio Ishii監督)と写真ドキュメンタリー『日本のブラジル人』(Ricardo Yamamoto撮影)の上映や、参加者と交流する場も設けられ、学術の領域を超えたネットワーキング実践を可能にした。

三田千代子教授(上智大学)が締めの言葉で述べたように、「日系人」というカテゴリーは、最初は日本人が海外移住者を他者化するために用いられたも のであるが、現在我われはその有用性を再考する必要に迫られている。今後は、日本人・日系人(あるいは「その他」)という民族的属性のみならず、調査者・ 被調査者・運動家・芸術実践者という立場、そして各々のコンテクストを考慮に入れながらより一層豊かな日系人研究を進めるべきであろう。

注釈:
1. 地域研究コンソーシアムの2007年度次世代ワークショップとして開催。飯島真里子(上智大学)が企画責任者。ウェブサイト:http://www29.atwiki.jp/nikkeijin/

 

* 本稿は、移民研究会(ディスカバー・ニッケイの協賛団体)が協賛団体の活動のひとつとして、当サイトへ寄稿したものです。

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