鮫島等、1929年の家族写真
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鮫島等の両親と兄弟姉妹
父、長三郎(1877年鹿児島県出身)は、1897年にワシントン州での鉄道工事の作業員として渡米。1910年にロサンゼルス北東のパサデナ市で小さなクリーニング店を始めた。
母、つな(1894年鹿児島県出身)は、1912年に嫁ぎ二男二女をもうけた。
やがて鮫島のクリーニング店には大型の洗濯機やプレス機もそろったが、1913年に成立していた外国人土地規制法により、店舗をかねた自宅はリースだった。
「もったいない…、みっともない…、」というのが母の口癖で、家の中では我慢,忍耐,義理,義務といった日本的な価値観が尊ばれ、土曜日には日本語学校に通わされた。兄弟は「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ…」と、教育勅語を暗唱させ、今でも諳んじている。
父親は「米国人と対等にやっていくには学問をしなければだめだ。」と、子供たちがアルバイトした小遣いも学資のための債権購入に当てた。
Based on this original
1925年に撮影した家族写真 |