ディスカバー・ニッケイ

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シカゴのハワイ出身二世 ― 田代勇の遺産


2023年12月10日 - 2024年1月14日

1910 年代、多くのハワイ二世がシカゴに移住し、新しい生活を始め、明るい未来を待ち望んでいました。その二世の一人が、日系アメリカ人の先駆者であり、心優しい精神にあふれたイサム・タシロでした。彼はシカゴにハワイ人コミュニティを築き、半世紀以上にわたってシカゴの歯科医として大成功を収めました。このシリーズでは、イサム・タシロの興味深く充実した、しかし時には物議を醸す人生について探ります。



このシリーズのストーリー

第5章 シカゴでの最後の年

2024年1月14日 • デイ 多佳子

パート4を読む>>転機を迎える戦時中、アジアとアメリカ大陸への声明の中で、田代は自身の家族について次のように述べている。何年も前、私の両親は、ジョン・M・ロス夫妻という名の素敵なスコットランド人が経営するハカラン砂糖農園への移民として日本からハワイにやって来ました。私は星条旗の保護の下、ハワイで生まれました。両親は常に、誠実さと信仰を主張し、私が良きアメリカ国民として教育を受けられるよう努めました。両親は私を完全にアメリカの教育機関で教育しました。私はアメリカ国…

第4章 戦争の影の中で

2024年1月7日 • デイ 多佳子

パート3を読む>>日本の立場を守る 日系アメリカ人としての自身の立場について、タシロ氏は次のように説明した。「私は日系アメリカ人として二国の間に立ち、両国の友好関係を促進したい。現在の日中対立について、日本がいかに正しいかを証明し、一部のアメリカ人の誤解を正すために、対立の背景と理由を説明するのは二世の義務である。私たち自身が優柔不断で、どうやって他人を納得させることができるだろうか。日系アメリカ人として、二世は日本の立場を100%支持すべきである。」…

第3章 若い二世とその未来のために

2023年12月24日 • デイ 多佳子

パート2を読む>>刺激的な二世の若者たちタシロの最も重要な関心事の一つは、若い日系アメリカ人二世の将来と、日米関係における彼らの立場であった。彼の元教師である浅野は、タシロがハワイの若い二世の状況を改善するためにどれほど熱心に尽力したかを語り、かつてタシロが彼らのために南米に行って事業を立ち上げたいと希望したことがあったと述べている。1インターナショナルハウスでの生活タシロはシカゴの若者にも刺激を与えた。1932年にシカゴ大学キャンパスの東59番街1414番地に…

第2章 日米関係について

2023年12月17日 • デイ 多佳子

パート 1 を読む >> ALOHA野球チームでプレー1922 年 5 月、シカゴのハワイ学生協会の設立と同時に、 ALOHA 野球チームが結成されました。このチームは主にシカゴの大学に通う協会のメンバーで構成されていました。1 田代自身も ALOHA 野球チームでキャプテンとキャッチャーとしてしばらくプレーし、ウィルフレッド ツキヤマはピッチャーでした。2 人ともホノルルのマッキンリー高校で野球をしていました。2アロハ・チームの初戦は1922年5月13日、ワシ…

第1章 ハワイから中西部へ

2023年12月10日 • デイ 多佳子

1910 年代、ハワイから来た日系人が、シカゴのどこに行ってもハワイの友人や知人の息子にばったり会ったことに驚いたと新聞に書いたことがある。彼らは、ハワイに近いにもかかわらず、西海岸に立ち寄ることなく、ハワイから直接シカゴにやって来たのである。1結局、ハワイに住む二世の多くが西海岸ではなくシカゴに移住した理由の 1 つは、イサム・タシロという男性が彼らを奨励したためであった。田代自身はハワイを離れ、ハワイの若者にとって非常に人気のある夢のような場所であったシカゴに渡り、歯…

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このシリーズの執筆者

1986年渡米、カリフォルニア州バークレーからサウスダコタ州、そしてイリノイ州と”放浪”を重ね、そのあいだに多種多様な新聞雑誌に記事・エッセイ、著作を発表。50年近く書き続けてきた集大成として、現在、戦前シカゴの日本人コミュニティの掘り起こしに夢中。

(2022年9月 更新)